『解体(かいたい)されるために最後(さいご)の停泊地(ていはくち)に曳(ひ)かれてゆく戦(せん)艦(かん)テメレール号(ごう)』
The Fighting Temeraire, tugged to her last Berth to be broken up by J.M.W. Turner1838, National Gallery, London
この絵(え)は、コンスタブル(1776年~1837年)と並(なら)ぶ、19世紀(せいき)イギリスを代表(だいひょう)する風景(ふうけい)画家ジョゼフ・マロード・ウイリアム・ターナー(1775年~1851年)の『解体(かいたい)されるために最後(さいご)の停泊地(ていはくち)に曳(ひ)かれてゆく戦(せん)艦(かん)テメレール号(ごう)』です。この絵(え)には、1805年のトラファルガー海戦(かいせん)で活躍(かつやく)した戦艦(せんかん)テメレール号(ごう)が、解体(かいたい)されるためにテムズ川をタグボートに曳(ひ)かれて運(はこ)ばれていく様子(ようす)が描(えが)かれています。2005年にイギリス国内(こくない)の絵画(かいが)の中で最(もっと)も人気がある絵画(かいが)に選(えら)ばれたことがあるほど有名で、2020年からは、ターナーの肖像(しょうぞう)とともに20ポンド札(さつ)にも描(えが)かれています。
ジョゼフ・マロード・ウイリアム・ターナー(1775年~1851年)
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ターナーは10代で絵画(かいが)の才能(さいのう)を見せ始め、14歳(さい)のころにはすでにロイヤル・アカデミーの付属(ふぞく)美術(びじゅつ)学校への入学を許(ゆる)されるほどでした。若(わか)い頃(ころ)は、写実的(しゃじつてき)な風景画(ふうけいが)を描(えが)いていましたが、44歳(さい)の時にイタリアへ旅行した後(のち)は、モチーフ(motif)が風景(ふうけい)に融合(ゆうごう)して絵(え)が抽象的(ちゅうしょうてき)になり、大気(たいき)と光(ひかり)の効果(こうか)を追求(ついきゅう)する絵画(かいが)を多く描(えが)くようになりました。人生の大半(たいはん)をロンドンのテムズ川の近くで過(す)ごしたターナーは、光(ひかり)の効果(こうか)を使って海や空の風景(ふうけい)を多く描(えが)きました。
『解体(かいたい)されるために最後(さいご)の停泊地(ていはくち)に曳(ひ)かれてゆく戦艦(せんかん)テメレール号(ごう)』の中には、いろいろな色があります。解体(かいたい)される白い戦艦(せんかん)とそれを運ぶ黒いタグボート、月が浮(う)かぶ青い空とオレンジ色の夕日など、それぞれの色が対比(たいひ)し合(あ)ってきれいです。また、過去(かこ)の栄光(えいこう)を誇(ほこ)る戦艦(せんかん)と合理的(ごうりてき)な近代産業(きんだいさんぎょう)の産物(さんぶつ)であるタグボートが、いいコントラストを見せています。
この絵(え)の重要(じゅうよう)なテーマである戦艦(せんかん)テメレール号(ごう)は、画面(がめん)の中心ではなく、左側(がわ)に描(えが)かれています。対照的(たいしょうてき)に、沈(しず)む夕日は右側(がわ)に描(えが)かれています。そして、風景全体(ふうけいぜんたい)が光(ひかり)で満(み)たされています。この構図(こうず)は、戦艦(せんかん)テメレール号(ごう)が活躍(かつやく)した時代の終わりを告(つ)げているようにも見えます。
参考
https://www.nationalgallery.org.uk/paintings/joseph-mallord-william-turner-the-fighting-temeraire
文:Naoko Ikegami
画像:パブリックドメイン
(2023.12.12)
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