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車いすで優勝(ゆうしょう)
日本のプロテニス選手(せんしゅ)というと、錦織(にしこり)圭(けい)選手や大坂(おおさか)なおみ選手を思い浮(う)かべる人が多いかもしれない。けれど、日本には、錦織(にしこり)選手や大坂(おおさか)選手よりももっとすばらしい成績(せいせき)を世界で残(のこ)している選手がいる。それがプロ車いすテニス選手の国枝(くにえだ)慎吾(しんご)選手だ。彼(かれ)は全豪(ぜんごう)、全仏(ぜんふつ)、全米(ぜんべい)のシングルスで優勝(ゆうしょう)、ダブルスでは全豪(ぜんごう)、全仏(ぜんふつ)、全英(ぜんえい)、全米(ぜんべい)の四つの大会(たいかい)全(すべ)てで優勝しており、合計(ごうけい)の優勝回数(かいすう)は40回(かい)を上回(うわまわ)っている。
国枝(くにえだ)は9歳(さい)の時、病気のせいで腰(こし)から下が動かなくなってしまい、車いすでの生活(せいかつ)をしなければならなくなった。母親(ははおや)に車いすテニスをしたらどうかと言われ、11歳の時に車いすテニスを始めた。最初(さいしょ)は車いすテニスよりもバスケットボールのほうが好きで、障害(しょうがい)のない友達(ともだち)と一緒(いっしょ)にバスケットボールをして楽しんでいたそうだ。その時の車いすの動(うご)かし方が、現在(げんざい)の国枝の基礎(きそ)となっている。高校の時、オランダで車いすテニスの試合(しあい)をする機会(きかい)があり、プロの車いすテニス選手がいることを知り、車いすテニスに対(たい)する考えが変(か)わった。けれど、世界とのレベルの差(さ)を強く感(かん)じ、日本に帰国(きこく)してから本格的(ほんかくてき)に競技(きょうぎ)レベルの車いすテニスの指導(しどう)を受(う)けるようになる。
世界ですでに活躍(かつやく)していた国枝(くにえだ)だが、2006年1月の全豪(ぜんごう)オープンテニスの時にアン・クインというメンタルトレーナーに出会(であ)い、自分が世界一になれると思うかと聞かれた。その時、国枝(くにえだ)はもちろんなりたいと答えたが、クインになりたいではなく、自分が世界一だと言えるくらいの練習(れんしゅう)と、毎日「自分が一番強いんだ」と叫(さけ)ぶことが大切だと教えられる。クインに言われた通(とお)りにしているうちに、弱気(よわき)になりがちな自分が消(き)えていくのが分かった。そして、クインのアドバイスのおかげで、国枝(くにえだ)はその年の5月の世界ランクで1位(い)になる。
イラスト:イラストAC
公開:2022.7.19
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石川智・米本和弘[著]