日本語多読道場 yomujp
紫(むらさき)式部(しきぶ)・清少(せいしょう)()納言(なごん) 作家(さっか)/歌人(かじん)(1000年頃)
平安(へいあん)時代以前の日本文化は、中国や朝鮮(ちょうせん)から強い影響を受けていました。しかし平安(へいあん)時代になると、日本の風土(ふうど)や生活にあった文化が作られるようになりました。その一つは仮名(かな)文字です。
それまでは中国から伝わった漢字だけを用いて日本語を書いていました。けれども、漢字のみで日本語を明確に表すことは難しく、そこで平安(へいあん)時代の人々は漢字をもとにして仮名(かな)文字を作り出しました。
仮名(かな)文字ができてはじめて自由に日本語を使って文を書き表すことができるようになりました。
その結果、平安(へいあん)時代には仮名(かな)文字を使って、女性達が色々な文学作品を書くようになりました。平安(へいあん)時代の女性作家と言えば、やはり紫(むらさき)式(しき)部(ぶ)と清(せい)少(しょう)納(な)言(ごん)でしょう。
紫(むらさき)式(しき)部(ぶ
清(せい)少(しょう)納(な)言(ごん
紫(むらさき)式(しき)部(ぶ)が書いた長編(ちょうへん)小説『源(げん)氏(じ)物語』、もう一方の清(せい)少(しょう)納(な)言(ごん)が書いた随筆(ずいひつ)『枕(まくらの)草(そう)子(し)』は現在でも多くの人に読まれています。そして、この二人は仲が悪く、ライバル関係にあったとよく言われています。その理由は、紫(むらさき)式(しき)部(ぶ)が彼女の日記の中で清(せい)少(しょう)納(な)言(ごん)のことをあまりよく言っていないからです。紫(むらさき)式(しき)部(ぶ)は「清(せい)少(しょう)納(な)言(ごん)は得意そうに漢字をたくさん使って文章を書いているくせに、よくみると間違いも多いし、その知識はたいしたことはない。人と違うところを見せたがる人は必ず見劣(み おと)りし、よい人生の終わりを迎えられるわけがない。」と清(せい)少(しょう)納(な)言(ごん)を批評(ひひょう)しています。あまりのひどいコメントに驚く人もいるかもしれませんが、一方で清(せい)少(しょう)納(な)言(ごん)は紫(むらさき)式(しき)部(ぶ)については何も語っていません。 実は紫(むらさき)式(しき)部(ぶ)が宮仕(みやづか)えを始める前に、清(せい)少(しょう)納(な)言(ごん)は宮仕(みやづか)えを終えていました。ですから、二人は直接会ったことはなかったので、二人がライバル関係ではなかったという意見もあります。
写真:パブリックドメイン、ColBase
公開:2022.7.29
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『The Great Japanese 30の物語[中上級]―人物で学ぶ日本語―』
石川智[著]