紅葉もみじで有名な永観堂えいかんどう
もし、許(ゆる)されるのなら、紅葉(こうよう)を楽しみながら、日本を南から北へ「紅葉(もみじ)狩(が)りの旅」をして歩きたいと思います。紅葉(こうよう)を追(お)いかけながら移動(いどう)するのは、まさに狩人(かりゅうど)のようです。けれども、毎日、家事(かじ)や仕事や家族の看病(かんびょう)で忙(いそが)しく、なかなかそういう時間がとれません。
それに何より、紅葉(こうよう)の季節(きせつ)、観光地(かんこうち)は驚(おどろ)くほど混(こ)んでいます。入り口には長い行列(ぎょうれつ)ができ、中に入るだけでも大変(たいへん)です。とくに京都(きょうと)は、普段(ふだん)から混(こ)んでいますから、ましてや、紅葉(こうよう)の時期(じき)ともなると、紅葉(こうよう)を楽しむ前にくたびれてしまうほどです。そのため、つい行くのをあきらめていましたが、昨年はどうしても行きたいと思いました。コロナ(Covid-19)の影響(えいきょう)で、観光客(かんこうきゃく)が急激(きゅうげき)に減(へ)り、いつもより空(す)いていて、見やすいと聞き行ってきました。もちろん、マスクをして、消毒薬(しょうどくやく)を持って、出かけました。
京都(きょうと)の阪急(はんきゅう)河原町駅(かわらまちえき)に着いた私は、すぐに「京都(きょうと)観光(かんこう)案内所(あんないじょ)」に向(む)かいました。ここでは、その日はどこの紅葉(こうよう)が一番(いちばん)、きれいかを教えてくれます。コピーした地図までくれるのです。紅葉(こうよう)は日によって、色の具合(ぐあい)が違(ちが)いますから、その日の様子(ようす)を確(たし)かめておけば、最高(さいこう)の紅葉(こうよう)に会えるはずです。日本の「おもてなし」を感(かん)じることができます。
その日、勧(すす)められたのは「永観堂(えいかんどう)」でした。永観堂(えいかんどう)は、「もみじの永観堂(えいかんどう)」とも呼ばれ、京都(きょうと)の中でも紅葉(こうよう)の美しさで知られています。
京都駅(きょうとえき)からバスで行くこともできますし、地下鉄(ちかてつ)で行くことも可能(かのう)です。もちろん、タクシーも利用(りよう)できます。自分にあった方法(ほうほう)を選(えら)ぶのも、旅の楽しみとなるでしょう。
多くの人が「永観堂(えいかんどう)」と呼(よ)びますが、正式(せいしき)な名前は「禅林寺(ぜんりんじ)」です。
簡単(かんたん)に歴史(れきし)を紹介(しょうかい)します。
禅林寺(ぜんりんじ)は、863年に、弘法大師(こうぼうだいし)(またの名を空海(くうかい)といいます)という偉(えら)いお坊(ぼう)さんの弟子(でし)であった真紹僧都(しんじょうそうず)が、清和天皇(せいわてんのう)からお許(ゆる)しをいただき、真言密教(しんごんみっきょう)のお寺(てら)を開きました。真言密教(しんごんみっきょう)とは平安時代(へいあんじだい)、弘法大師(こうぼうだいし)によって開かれた仏教(ぶっきょう)の宗派(しゅうは)です。現在(げんざい)、世界遺産(せかいいさん)として名高(なだか)い高野山(こうやさん)は、空海(くうかい)が開山(かいさん)した道場です。弘法大師(こうぼうだいし)は今も奥(おく)の院(いん)で世の平和(へいわ)を祈(いの)り続(つづ)けていると伝(つた)えられています。
さて、禅林寺(ぜんりんじ)は建てられた頃(ころ)から、紅葉(こうよう)の美(うつく)しさで知られ、多くの文化人達(ぶんかじんたち)に愛(あい)されてきました。永観堂(えいかんどう)と呼(よ)ばれるようになったのは、開山(かいさん)から約(やく)200年後、永観律師(えいかんりっし)というお坊さんが活躍(かつやく)した頃(ころ)からです。永観律師(えいかんりっし)は、寺の中に施療院(せりょういん)という一種(いっしゅ)の病院を建て、恵(めぐ)まれない人びとのために尽(つ)くしました。多くの人びとが永観律師(えいかんりっし)を慕(した)い、次第(しだい)に禅林寺(ぜんりんじ)を永観堂(えいかんどう)と呼(よ)ぶようになりました。
永観堂(えいかんどう)の歴史(れきし)をより深(ふか)く知りたい方は、永観堂(えいかんどう)のホームページを見てください。さらに詳(くわ)しい歴史(れきし)を勉強することができます。
京都(きょうと)には紅葉(こうよう)が美(うつく)しいことで知られるお寺(てら)がたくさんあります。その中でも、永観堂(えいかんどう)は「もみじの永観堂(えいかんどう)」と呼(よ)ばれ、多くの人達(ひとたち)に愛(あい)されています。名前のとおり、お寺(てら)の中は、紅葉(もみじ)で満(み)たされています。その数(かず)、約(やく)3000本と言われ、様々(さまざま)な種類(しゅるい)の紅葉(もみじ)が全体に広がっています。それぞれ、少しずつ色が違(ちが)うため、微妙(びみょう)なグラデーションを感(かん)じることができ、まるでペルシャじゅうたんのようです。
永観堂(えいかんどう)は古い建築(けんちく)が数(かず)多くあることでも知られています。多宝塔(たほうとう)や阿弥陀堂(あみだどう)、釈迦堂(しゃかどう)などです。どれも魅力的(みりょくてき)な建物です。それらを紅葉(もみじ)が囲(かこ)んでいます。
その中でも多宝塔(たほうとう)は京都(きょうと)の町を見ることができる場所(ばしょ)に建っています。屋根(やね)の上にある九輪(くりん)は珍(めずら)しいものです。下から多宝塔(たほうとう)を見上(みあ)げてみましょう。その雰囲気(ふんいき)に圧倒(あっとう)されることでしょう。
みかえり阿弥陀(あみだ)にはこんなエピソードがあるそうです。
1082年のこと、永観律師(えいかんりっし)は阿弥陀堂(あみだどう)で、徹夜(てつや)で念仏(ねんぶつ)をとなえていました。夜が明け、あたりが明るくなり始めたとき、永観(えいかん)は誰(だれ)かがいるのに気がつきます。すると、その人は「永観(えいかん)、遅し」と、言い、こちらを振(ふ)り向いて、まっすぐな視線(しせん)を向(む)けてきたといいます。
阿弥陀様(あみださま)は永観(えいかん)を叱(しか)ったわけではありません。遅(おく)れる者を待ち、思いやり深(ふか)くまわりを見つめる姿勢(しせい)を持ちなさいと教えているのです。
この美(うつく)しい阿弥陀様(あみださま)を紅葉(こうよう)が満(み)ちた永観堂(えいかんどう)で見るのは、まさに最高(さいこう)の喜(よろこ)びです。
私は紅葉(もみじ)と銀杏(いちょう)の両方(りょうほう)を楽しむことができる点(てん)にも感動(かんどう)しました。赤くなった紅葉(もみじ)の下は、黄色(きいろ)いイチョウの葉(は)で埋(う)まっています。池(いけ)の鯉(こい)が紅葉(こうよう)を楽しむかのように水面(すいめん)の表面(ひょうめん)に姿(すがた)を表(あらわ)しているのを見ると、もしかしたら、鯉(こい)も紅葉狩(もみじが)りするのではないかと、思ったりしました。
寺の中に幼稚園(ようちえん)があるのにも驚(おどろ)きました。世界中から観光客(かんこうきゃく)が集まる永観堂(えいかんどう)ですが、幼稚園(ようちえん)を経営(けいえい)し、幼(おさな)い子どもたちに仏様(ほとけさま)の教えを授(さず)ける教育現場(きょういくげんば)となっているわけです。子ども達(たち)は、紅葉(もみじ)や銀杏(いちょう)の色(いろ)が変(か)わり、散(ち)っていくのを見ながら、暮(く)らすことができます。季節(きせつ)の移(うつ)り変(か)わりを毎日見ながら過(す)ごすのですから、贅沢(ぜいたく)な幼稚園(ようちえん)と言っていいのではないでしょうか。
こうして、永観堂(えいかんどう)は「もみじの永観堂(えいかんどう)」の言葉(ことば)を実感(じっかん)できる場所(ばしょ)でした。違(ちが)う季節(きせつ)にも行ってみたいと今から楽しみにしています。
文:三浦暁子
写真:岡野秀夫
(2022.10.28)
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