紫式部・清少納言 作家/歌人(1000年頃)
平安時代以前の日本文化は、中国や朝鮮から強い影響を受けていました。しかし平安時代になると、日本の風土や生活にあった文化が作られるようになりました。その一つは仮名文字です。
それまでは中国から伝わった漢字だけを用いて日本語を書いていました。けれども、漢字のみで日本語を明確に表すことは難しく、そこで平安時代の人々は漢字をもとにして仮名文字を作り出しました。
仮名文字ができてはじめて自由に日本語を使って文を書き表すことができるようになりました。
その結果、平安時代には仮名文字を使って、女性達が色々な文学作品を書くようになりました。平安時代の女性作家と言えば、やはり紫式部と清少納言でしょう。
紫式部
清少納言(出典:ColBase)
紫式部が書いた長編小説『源氏物語』、もう一方の清少納言が書いた随筆『枕草子』は現在でも多くの人に読まれています。そして、この二人は仲が悪く、ライバル関係にあったとよく言われています。その理由は、紫式部が彼女の日記の中で清少納言のことをあまりよく言っていないからです。紫式部は「清少納言は得意そうに漢字をたくさん使って文章を書いているくせに、よくみると間違いも多いし、その知識はたいしたことはない。人と違うところを見せたがる人は必ず見劣りし、よい人生の終わりを迎えられるわけがない。」と清少納言を批評しています。あまりのひどいコメントに驚く人もいるかもしれませんが、一方で清少納言は紫式部については何も語っていません。 実は紫式部が宮仕えを始める前に、清少納言は宮仕えを終えていました。ですから、二人は直接会ったことはなかったので、二人がライバル関係ではなかったという意見もあります。