宮沢賢治 詩人/童話作家(1896年-1933年)
ユートピアを目指して
『銀河鉄道の夜』という童話のタイトルを聞いて、皆さんはどんな物語を想像しますか。この童話は宮沢賢治が書いた童話で、少年ジョバンニが友達のカムパネルラと銀河鉄道という汽車で旅行をする物語です。
賢治は岩手県盛岡の農林学校で農業を勉強しました。学校を卒業してから、農業の学校の先生をしたり、農業を貧しい人達に教えたりしました。教える仕事をしながら、賢治は詩や童話を書きました。
賢治が書いた詩の中で一番有名なのは「雨ニモマケズ」でしょう。この詩の中で、賢治はどんなものにも、どんなことにも負けない人になりたいと言っています。賢治は『銀河鉄道の夜』の他にも『風の又三郎』、『注文の多い料理店』などの童話を書きました。
「雨ニモマケズ」
『注文の多い料理店』は、童話ですが少し怖いお話です。森に狩りに行ったお金持ちの男二人が道に迷い、困っている時、森の奥でレストランを見つけます。レストランに入ると、誰もいませんが、中のドアにはりがみがあります。それには、「ぼうしとコートをぬいで下さい」とか、「牛乳のクリームを体にぬって下さい」とか色々な注文が書いてあります。男達は、その注文の通りにしていきますが、最後に、「体に塩をぬって下さい」というはりがみを見て、自分たちが客ではなく、料理されてしまうということに気がつきます。賢治は肉を全く食べなかったわけではないそうですが、そのころではめずらしい菜食主義を理想としていたようです。ですから、こんな童話を書いたのかもしれません。
賢治は農民にも芸術が必要だと考えて、教えていた農民たちを家に集めて、レコードを聴かせたり、音楽会を開いたりしたそうです。また、ドイツ語やエスペラント語を勉強して、エスペラント語で詩を書いたりもしました。そして、賢治は「イーハトーブ」というユートピア、つまり理想の世界を心の中に持っていたと言います。