有田焼

今回は有田焼をご紹介します。
有田焼は佐賀県有田町とその周辺地域で作られている焼き物です。

有田焼は白くてかたい磁器で、鮮やかな色の絵の具で描かれた絵が特徴です。日本で初めて作られた磁器だと言われています。有田焼は基本的に分業で作られます。分業というのは、初めから終わりまで一人の人が作るのではなく、何人かの人で仕事を分けることです。例えば、形を作る、ゆう薬という色をつける薬を塗る、絵を描く、焼くなどです。それぞれのスペシャリストが自分の技術を使い、プロの仕事がひとつになって作品ができるのです。

有田焼の歴史を見てみましょう。
有田焼は、17世紀の初めごろに作られるようになったと言われています。そのきっかけになったのは、今の佐賀県有田町の泉山で発見された「陶石」という磁器の材料でした。陶石を使って「磁器」が焼かれるようになり、日本で初めて本格的な磁器の生産が始まったとされています。
それまでの日本では、陶器という土で作られた焼き物が多く使われていました。陶器は茶色や赤っぽい色をしていて、やわらかくて割れやすいものでした。それに対して、有田で作られた磁器は白くてかたく、陶器に比べ、割れにくいのが特徴でした。さらに、表面が滑らかで、花や鳥などの模様を細かく描くことができたため、人々に好まれ、広まっていったようです。
初めの頃は「染付」といって、白い磁器に藍色の絵の具で絵を描くスタイルが多かったのですが、1640年代に酒井田柿右衛門という人が赤を中心にした「赤絵」を始めました。それは今でも有田焼の代表的な様式として受け継がれています。
17世紀の中ごろには、本格的にヨーロッパに輸出されるようになり、高い人気を集めました。特にヨーロッパを代表する焼き物である「マイセン」にも大きな影響を与えたと言われています。1867年のパリ万国博覧会にも出品され、注目を集めました。1870年にはドイツ人科学者ゴットフリード・ワグネル(Gottfried Wagener, 1831-1892)を呼んで、技術や知識を伝えてもらい、有田焼は発展していきました。その後、1966年には「創業350年祭」が行われ、窯業大学校(焼き物を教える学校)や佐賀県立九州陶磁文化館などもつくられて、有田焼の技術や文化を未来に伝える体制が整えられました。

染付

赤絵
現在の有田焼は、伝統を守りながらも、新しいデザインやアイデアを取り入れています。例えば、若いアーティストとのコラボレーションで、モダンな形のカップや皿が作られたりしています。また、日常生活で使える食器だけでなく、インテリアやアート作品としても人気があります。
有田町では毎年ゴールデンウィークの時期に「有田陶器市」が開かれます。全国から多くの観光客が訪れ、町全体が焼き物であふれて、にぎわいを見せます。たくさんのお店でいろいろな種類の有田焼が安く買えるので、多くの人が楽しみにしているようです。
有田焼は400年以上の長い歴史を持ち、日本だけでなく世界でも高く評価されてきた焼き物です。伝統的な美しさと現代的な美しさの両方を持っている有田焼は、これからも多くの人々に愛され続けることでしょう。
文:新階由紀子
画像:写真AC/イラストAC
(2025.7.15)