2024年から日本の紙幣(お札)が新しくなります。一万円札には渋沢栄一が、五千円札には津田梅子が、千円札には北里柴三郎が描かれることになりました。では、この三人は、どんな人なのでしょうか。
渋沢栄一は150年前の時代から日本にたくさんの会社を作ったビジネスマンです。1840年、埼玉県で生まれた渋沢栄一は、1873年に日本で最初の銀行をつくりました。その他、ガス会社、鉄道会社、ホテルなど500以上の会社や団体をつくったので「日本の資本主義(capitalism)の父」と呼ばれています。
渋沢栄一は何度もヨーロッパやアメリカなどに行って、新しい考え方や技術を学び、日本に持ち帰りました。その知識を使ってたくさんの専門学校や大学を作り、教育にも力を入れました。91歳で亡くなるまで、福祉(welfare)、医療、外交など多くの方面で日本の近代化に貢献しました。
新しい五千円札に描かれる津田梅子は、現在の五千円札の樋口一葉に続き、女性です。津田梅子は、1864年に東京で生まれました。父親が通訳だったこともあり、政府が日本で最初の女子留学生を募集したとき、父親に勧められて留学生になりました。留学生は五人だけで、この中で津田梅子は一番若く、6歳でした。
17歳でアメリカから日本に帰った津田梅子は、日本の学校で英語やピアノを教えていました。しかし24歳のとき、アメリカのブリンマー大学(Bryn Mawr College)に行って生物学を学びました。その後日本に帰り、自分で学校をつくる決心をして、1900年に女子英学塾(現在の津田塾大学)をつくりました。1905年には日本YWCA(Young Women’s Christian Association)の会長になり、一生日本の女子教育のために働きました。
北里柴三郎は、「近代日本医学の父」として知られる微生物学者(microbiologist)です。1853年に熊本県で生まれた北里柴三郎は、1874年に東京医学校(現在の東京大学医学部)に進みました。その後、ドイツのベルリン・フンボルト大学(Humboldt-Universität zu Berlin)に留学して細菌(bacteria)の研究を続けました。そして、今までにない新しい伝染病(epidemic)の予防法を開発しました。
1892年に日本に戻った北里柴三郎は伝染病研究所の所長となり、伝染病の研究を続けました。1894年香港でペスト(plague)が流行していたので、北里は政府から調査、研究するように頼まれました。そして、ペスト菌を発見したのです(ほぼ同時期にスイスの医者も香港でペスト菌を発見しています)。
北里は1914年に伝染病研究所をやめて、北里研究所を作ります。そして自身の研究だけでなく、多くの優秀な研究者の指導にも熱心に取り組みました。その後、福澤諭吉(現在の一万円札に描かれている)がつくった慶應義塾大学の医学科(現在の医学部)長になり、大学の発展のために働きました。
以上見てきたように、渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎は明治時代(1868-1912)に日本の近代化のために活躍した人たちです。お互いを知っていたかどうかわかりませんが、それぞれいろいろな方面で日本を発展させたことがわかります。
文:Naoko Ikegami
画像:イラストAC/国立国会図書館ウェブサイト
(2023.6.13)