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日本刀(にほんとう)から生まれたことば②

日本のさむらい(武士(ぶし))が(こし)にさしていた(かたな)には、それぞれの部分(ぶぶん)にこまかく名がつけられています。(かたな)はさむらいにとって、とても大切なものだったからです。

日本刀(にほんとう)(刀)

この(かたな)部分(ぶぶん)の名から生まれ、今でも使われている語がたくさんあります。

たとえば、はげしくあらそうことを「しのぎをけずる」と言います。「しのぎ」は(かたな)の、()のある(がわ)()のない(がわ)との間にある、少し高くなった部分(ぶぶん)のことです。(かたな)でたたかうとき、()部分(ぶぶん)をぶつけ()うと()がかけて切れなくなってしまいますから、この「しのぎ」の部分(ぶぶん)をぶつけ()ってたたかいます。(かたな)(てつ)でできていますが、その「しのぎ」の部分(ぶぶん)がけずれてしまうようなはげしいたたかいをするというのが元々の意味です。これから「しのぎをけずる」ではげしくあらそうという意味になったのです。「全国大会(ぜんこくたいかい)で6チームがしのぎをけずる」のように使います。

しのぎ(赤線(あかせん)(かこ)まれた部分(ぶぶん)

他人(たにん)性格(せいかく)()わなかったり、趣味(しゅみ)(この)みが()わなかったりすることを、「そりが()わない」と言います。また、性格(せいかく)趣味(しゅみ)(この)みが()うことを、「そりが()う」と言います。

この「そり」は、(かたな)(かたち)から生まれた語です。(かたな)は先の方に()かって、全体(ぜんたい)がまがるように作られています。この(かたな)がまがっていることを「そり」と言います。(かたな)は使わないときは「さや(鞘)」とよばれる細長(ほそなが)容器(ようき)にさして、ほかのものを(きず)つけないようにします。この「さや」も、(かたな)のまがった(かたち)()わせて作らなければ、(かたな)は「さや」の中にさせません。このまがった(かたち)()わないことを、「そりが()わない」と言うのです。ピッタリ()えば「そりが()う」です。この語は、「会社の人とそりが()わない(()う)」などと使います。

(かたな)とさや。そり(()()がり具合(ぐあい))が()わないと(かたな)をさやにさすことができない。

おたがいの力に()がなく、どちらが()ってもおかしくない状態(じょうたい)でたたかうことを、「つばぜり()い」と言います。「(りょう)チームがつばぜり()いの接戦(せっせん)(えん)じる」などと使います。(かたな)の手でにぎる部分(ぶぶん)を「つか(柄)」と言いますが、そこと(かたな)()がある本体との間にある(たい)らな(いた)のことを「つば」とよびます。「つば」はふつうは(てつ)でできていて、「つか」をにぎった手が(かたな)()(きず)つかないようにしたものです。(かたな)を使ってたたかうとき、おたがいのからだが近づくと、この「つば」のあたりをはげしくぶつけ()ってたたかいます。「ぜり()い」はたたかうという意味で、「つばぜり()い」はおたがいに相手(あいて)(かたな)()け止め、()()うことをいいます。これから、「つばぜり()い」はおたがいの力に()がなく、どちらが()ってもおかしくないような状態(じょうたい)でたたかうという意味になったのです。

「つか」と「つば」

つばをぶつけ()ってたたかう

(かたな)の「つば」の部分(ぶぶん)には、「せっぱ」とよばれる部分(ぶぶん)があります。これは、(かたな)を「さや」にさしたときに、かんたんにぬけてしまわないようにするためのものです。この部分(ぶぶん)には少しすきまが必要(ひつよう)です。このすきまがなくなると、(かたな)を「さや」からぬいたり、さしたりすることができなくなるからです。これから「せっぱつまる」という語が生まれました。「つまる」は(かたな)をぬいたりさしたりできなくなるということです。だいじなときに(かたな)がぬけないわけですから、「せっぱつまる」はものごとがすぐにせまっていて、どうしようもなくなるという意味になります。たとえば、「お金がなくなり、せっぱつまって親に(たす)けてもらう」などのように使います。

せっぱ

それぞれの部分(ぶぶん)の名前

(こし)(かたな)をさしたさむらいはいなくなりましたが、(かたな)から生まれた語は、今の日本語の中にしっかりと生きているのです。

文:神永曉

写真:写真AC/Wikimedia Commons

(2023.7.4)

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