日本語多読道場 yomujp
日本刀(にほんとう)から生まれたことば①
刀(かたな)は、武士(ぶし)が腰(こし)に差(さ)していた武器(ぶき)です。武士(ぶし)は長い刀(かたな)と短(みじか)い刀(かたな)を、腰(こし)に差(さ)していました。ふつうは長い方を刀(かたな)、または太刀(たち)とよびます。短(みじか)い方は、脇差(わきざし)とよびます。両方(りょうほう)あわせて大小(だいしょう)とも言います。
刀(かたな)
刀(かたな)と脇差(わきざし)を腰(こし)に差(さ)す
刀(かたな)は武士(ぶし)にとってとても大切なもので、「刀(かたな)は武士(ぶし)の魂(たましい)」などと言われていました。刀(かたな)に武士(ぶし)の精神(せいしん)がこめられていると考えたのです。
そのような大切な刀(かたな)ですから、日本語の中には、刀(かたな)から生まれた語がたくさんあります。
「伝家(でんか)の宝刀(ほうとう)」は、その家に先祖(せんぞ)代々伝(つた)わる大切な刀(かたな)のことです。ここから、ふだんは使わず、何かとても重大なときにだけ使うものという意味になりました。「伝家(でんか)の宝刀(ほうとう)をぬく」の形(かたち)で使います。
「助太刀(すけだち)」は、あだうちやはたし合(あ)いなどのときに力を貸すことです。あだうちとは、主君(しゅくん)(自分が仕える主)、親兄弟などを殺(ころ)した相手(あいて)を殺(ころ)して、うらみを晴(は)らすことです。はたし合(あ)いは何か争(あらそ)うときに、命(いのち)をかけてたたかうことです。それを助(たす)けるという意味から、力を貸す、援助(えんじょ)するという意味になりました。「会社の先輩(せんぱい)に助太刀(すけだち)を頼(たの)む」のように使います。
「懐刀(ふところがたな)」は小さな刀(かたな)のことで、着物を着たときに胸(むね)の部分(ぶぶん)の内側(うちがわ)に入れたり、帯(おび)の間に差(さ)したりします。自分の身(み)を守(まも)るために持って歩く刀(かたな)で、懐剣(かいけん)とも言います。身(み)を守(まも)るという意味から、信頼(しんらい)できる部下(ぶか)のことを指(さ)し、「社長の懐刀(ふところがたな)」などと使います。
懐刀(ふところがたな)(懐剣(かいけん))
帯(おび)にさしている懐剣(かいけん)(布(ぬの)の袋(ふくろ)に入っている)
「丸腰(まるごし)」は、武士(ぶし)などが腰(こし)に刀(かたな)を差(さ)していないことを言います。この意味から、武器(ぶき)をまったく持たないことを表します。「丸腰(まるごし)で立ち向(む)かう」などと使います。
「自腹(じばら)を切(き)る」の「自腹(じばら)」は自分のお腹(なか)のことですが、それを切(き)るのですから、切腹(せっぷく)のことです。でも、「自腹(じばら)」は自分がもっているお金のことも指(さ)します。そして、「自腹(じばら)を切(き)る」で、お金を払(はら)う必要(ひつよう)が自分にはないのに、自分のお金を払(はら)うことを言います。「自腹(じばら)を切(き)って部下(ぶか)と飲みに行く」のように使います。
「諸刃(もろは)の剣(つるぎ)」は、もともとは刃(は)が両方(りょうほう)に付(つ)いた剣(つるぎ)のことです。刃(は)が片方(かたほう)だけ付(つ)いている「刀(かたな)」とは区別(くべつ)します。江戸(えど)時代の武士(ぶし)は「剣(つるぎ)」を使うことはほとんどありませんでした。剣(つるぎ)は両方(りょうほう)に刃(は)があるので、相手(あいて)を切(き)ろうとして振(ふ)り上げると、自分も傷(きず)つける恐(おそ)れがあります。そのため、「諸刃(もろは)の剣(つるぎ)」は一方では非常(ひじょう)に役(やく)に立つのだけれど、もう一方では大きな害(がい)を与(あた)える危険(きけん)のあるものをたとえて言うようになりました。「そのやり方にかんたんに賛成(さんせい)するのは諸刃(もろは)の剣(つるぎ)だ」のように使います。
刃(は)が両方(りょうほう)に付(つ)いている、「諸刃(もろは)の剣(つるぎ)」
「太刀(たち)打(う)ち(が)できない」の「太刀(たち)打(う)ち」は、長い刀(かたな)である太刀(たち)で打(う)ち合(あ)うこと、たたかうことです。これができないというのは、たたかえない、つまり相手(あいて)が強くてとてもかなわないという意味です。「あの人には太刀(たち)打(う)ちできない」のように使います。
以上のような語のほかに、刀(かたな)の部分(ぶぶん)の名から生まれた語もたくさんあります。それは、またの機会(きかい)にします。
文:神永曉
写真:写真AC
(2023.6.30)
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