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秋冬山水図(しゅうとうさんすいず)(15世紀末〜16世紀初頭)

秋図 ( しゅうず )
冬図 ( とうず )

この絵は雪舟(せっしゅう)(1420年〜1506年)の《秋冬山水図(しゅうとうさんすいず)》です。雪舟(せっしゅう)は、室町時代(むろまちじだい)(1336年〜1573年)中期(ちゅうき)のお(ぼう)さんで、今の岡山県(おかやまけん)で生まれました。京都の相国寺(しょうこくじ)(ぜん)(心を一つの対象に集中させること 、meditation)の修行(しゅぎょう)をし、絵を学んだ後、今の山口県(やまぐちけん)に行き、1467年に中国に(わた)ります。そこで中国のさまざまな名所(めいしょ)(おとず)れたり、中国水墨画(すいぼくが)の研究をしたりしました。1469年に日本に(もど)った雪舟(せっしゅう)は、日本独自(どくじ)水墨(すいぼく)()(ふう)確立(かくりつ)し、主に風景(ふうけい)を描いた水墨画(すいぼくが)を残します。この絵はその中の一つで、(おそ)らく春夏の山水図(さんすいず)も描いていたと考えられますが、現在残っているのは、この《秋冬山水図(しゅうとうさんすいず)》のみです。

雪舟像((せっしゅうぞう)探幽縮図((たんゆうしゅくず)

絵をよく見ていきましょう。まず、左の秋図(しゅうず)では、手前から(ふね)帆先(ほさき)水辺(みずべ)、岩、木々や高い建物が力強(ちからづよ)く描かれているのに(たい)し、(おく)の方の山は(うす)く、(かすみ)がかかっているように描かれています。また、中央(ちゅうおう)には二人の人物(じんぶつ)が向かい合って話をしているように見えます。これらのモチーフが絵の下部(かぶ)(あつ)まっているのに(たい)し、上部(じょうぶ)余白(よはく)には秋の空が大きく(ひろ)がっています。

一方、右の冬図(とうず)では、大きく切り取られた(けわ)しい(がけ)と高い雪山(ゆきやま)を中心に手前の(ひく)い山や家、木々(きぎ)複雑(ふくざつ)(かさ)ね合わさって描かれています。右手前には小舟(こぶね)があり、その(ふね)()りたと思われる人が山道を歩いています。道の先には、民家(みんか)などの建物がありますが、これらが小さく描かれることで、背後(はいご)の山々や(がけ)がとても大きく(けわ)しく見えます。

秋図(しゅうず)冬図(とうず)ともにモチーフがジグザグに描かれ、見る人の目を下部(かぶ)から中央(ちゅうおう)、そして上部(じょうぶ)へと誘導(ゆうどう)していきます。どちらも構図(こうず)が細かく計算(けいさん)され、よく(ととの)っているので、見る人の視線(しせん)自然(しぜん)に上がっていきます。しかし、秋図(しゅうず)では上部(じょうぶ)余白(よはく)(ひろ)がっているのに(たい)し、冬図(とうず)では山と(がけ)で見る人の視線(しせん)()ざされてしまいます。ここに、秋の空の高さの開放感(かいほうかん)と冬の寒さの閉塞感(へいそくかん)見事(みごと)(たい)()を見ることができます。このように(すみ)濃淡(のうたん)を使って(おく)行きを表現(ひょうげん)するのは、雪舟(せっしゅう)水墨(すいぼく)()(すぐ)れた空間表現(くうかんひょうげん)技法(ぎほう)だと言えるでしょう。

雪舟せっしゅうは、水墨画家すいぼくがかとして有名になった後も、日本各地かくちを歩き、数多かずおおくの絵を描き続けました。現在残っているほとんどの絵が風景画ふうけいがですが、肖像画しょうぞうが花鳥画かちょうがも残っています。雪舟せっしゅうは、後の絵師えしたちに多大ただいえいきょうあたえ「画聖がせい」とも呼ばれています。《秋冬山水図しゅうとうさんすいず》は東京とうきょう国立博物館こくりつはくぶつかん所蔵しょぞうされ、これをふくむ6点が国宝こくほう指定していされました。

文:Naoko Ikegami

画像:ColBase(部分画像はColBaseをもとに作成)

(2025.3.21)

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