夏の俳句②


「万緑の 中や吾子の歯 生え初むる」中村草田男
どんな意味だと思いますか。まず、言葉の意味について言うと、「万緑(萬緑)」は夏の山を覆う一面の緑、「吾子」は私の子ども、「生え初むる」は生え始めるという意味です。俳句全体では、「野山は草木が生え、一面の緑だ。そんな中、我が子の歯が生え始めたなあ」という意味です。
草田男は、どんな気持ちでこの句を詠んだのでしょう。
辺りを見ると、夏の草木が生い茂り、生命力にあふれています。山を覆う葉は鮮やかな緑で、勢いがあります。そんな中、赤ん坊に生えてきた、白く小さな歯。大きな自然の力強い緑との対比が印象的ですね。子どもの成長に対する喜びと、大きな自然への尊敬の気持ちが感じられます。
この句が詠まれたのは1939年で、1937年には長女が生まれているので、「 吾子」というのは長女のことでしょうか。草田男の長女に対する深い愛情が伝わってきます。


「万緑」という言葉は、中村草田男が初めて季語として使ったと言われています。この句を詠んだ次の年(1940年)に、草田男は「萬緑」という句集を出し、数年後には「萬緑」という俳句の雑誌を作っています。「萬緑」という言葉を大切にしていたことがわかりますね。
この俳句を詠んだ中村草田男(1901年~1983年)は、どんな人物だったのでしょうか。
草田男は今の中国の福建省で生まれて、3歳ごろ日本に帰国しました。その後はたびたび引っ越し、愛媛県の松山と東京を行ったり来たりしながらの生活でした。ドイツの哲学者ニーチェ(1844年~1900年)の本をよく読み、西洋の考え方にも影響を受けました。ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき(Also sprach Zarathustra)』は大好きな一冊だったようです。大学生のころ、俳句に出会い、高浜虚子(1874年~1959年)を先生として俳句を学びました。大学時代に「ホトトギス」という俳句の雑誌で入選しています。

Friedrich Nietzsche, Public domain, via Wikimedia Commons
草田男は人間探求派の俳人と言われます。人間探求派というのは、自分について深く考え、自分の内面を俳句に詠もうとした人たちのことです。それまでの伝統的な俳句は、「花鳥風月」、つまり美しい花や鳥などを対象としていました。それに対して人間探求派の人々は自分自身のことや社会のことなどを俳句で表現しようとしました。俳句の世界に新たな風を入れたと言えるでしょう。
文:新階由紀子
画像:写真AC/イラストAC/ウィキメディア・コモンズ
(2025.6.24)