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夏の俳句(はいく)

夏の俳句(はいく)の2作目(さくめ)です。俳句(はいく)における「夏」は、今でいうと、だいたい5月から7月のことをいいます。それをイメージして読んでみてください。

万緑(ばんりょく)の (なか)吾子(あこ)( ()()むる」中村(なかむら)草田男(くさたお)

どんな意味だと思いますか。まず、言葉(ことば)の意味について言うと、「万緑(ばんりょく)(ばん)(りょく))」は夏の山を(おお)一面(いちめん)(みどり)、「吾子(あこ)」は私の子ども、「()()むる」は()(はじ)めるという意味です。俳句(はいく)全体(ぜんたい)では、「野山(のやま)草木(くさき)()え、一面(いちめん)(みどり)だ。そんな中、()が子の()()(はじ)めたなあ」という意味です。

草田男(くさたお)は、どんな気持ちでこの()()んだのでしょう。

(あた)りを見ると、夏の草木(くさき)()(しげ)り、生命力(せいめいりょく)にあふれています。山を(おお)()(あざ)やかな(みどり)で、(いきお)いがあります。そんな中、(あか)(ぼう)()えてきた、白く小さな()。大きな自然(しぜん)力強(ちからづよ)(みどり)との対比(たいひ)印象的(いんしょうてき)ですね。子どもの成長(せいちょう)(たい)する(よろこ)びと、大きな自然(しぜん)への尊敬(そんけい)の気持ちが感じられます。

このまれたのは1939年で、1937年には長女ちょうじょまれているので、「 吾子あこ」というのは長女ちょうじょのことでしょうか。草田男くさたお長女ちょうじょたいするふか愛情あいじょうつたわってきます。

万緑(ばんりょく)」という言葉(ことば)は、中村(なかむら)草田男(くさたお)(はじ)めて季語(きご)として使ったと言われています。この()()んだ(つぎ)の年(1940年)に、草田男(くさたお)は「(ばん)(りょく)」という句集(くしゅう)を出し、数年後(すうねんご)には「(ばん)(りょく)」という俳句(はいく)雑誌(ざっし)を作っています。「(ばん)(りょく)」という言葉(ことば)を大切にしていたことがわかりますね。

この俳句(はいく)()んだ中村(なかむら)草田男(くさたお)(1901年~1983年)は、どんな人物(じんぶつ)だったのでしょうか。

草田男(くさたお)は今の中国の福建省(ふっけんしょう)()まれて、3(さい)ごろ日本に帰国(きこく)しました。その()はたびたび()()し、愛媛県(えひめけん)松山(まつやま)と東京を行ったり来たりしながらの生活でした。ドイツの哲学者(てつがくしゃ)ニーチェ(1844年~1900年)の本をよく読み、西洋(せいよう)の考え方にも影響(えいきょう)()けました。ニーチェの『ツァラトゥストラはかく(かた)りき(Also sprach Zarathustra)』は大好(だいす)きな一冊(いっさつ)だったようです。大学生のころ、俳句(はいく)出会(であ)い、高浜(たかはま)虚子(きょし)(1874年~1959年)を先生として俳句(はいく)を学びました。大学時代に「ホトトギス」という俳句(はいく)雑誌(ざっし)入選(にゅうせん)しています。

Friedrich Nietzsche, Public domain, via Wikimedia Commons

草田男(くさたお)人間(にんげん)探求派(たんきゅうは)俳人(はいじん)と言われます。人間(にんげん)探求派(たんきゅうは)というのは、自分について(ふか)く考え、自分の内面(ないめん)俳句(はいく)()もうとした人たちのことです。それまでの伝統的(でんとうてき)俳句(はいく)は、「花鳥(かちょう)風月(ふうげつ)」、つまり(うつく)しい花や鳥などを対象(たいしょう)としていました。それに(たい)して人間(にんげん)探求派(たんきゅうは)人々(ひとびと)は自分自身(じしん)のことや社会のことなどを俳句(はいく)表現(ひょうげん)しようとしました。俳句(はいく)の世界に(あら)たな(かぜ)()れたと言えるでしょう。

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文:新階由紀子

画像:写真AC/イラストAC/ウィキメディア・コモンズ

(2025.6.24)

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