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港川(みなとがわ)遺跡(いせき)

港川(みなとがわ)遺跡(いせき)を知っていますか?

沖縄(おきなわ)には、楽しいところがたくさんあります。(うつく)しい海で(およ)ぐことができますし、首里城(しゅりじょう)やお(はか)を見て、歴史(れきし)を知るのも()体験(たいけん)です。水族館(すいぞくかん)に行ったり、市場(いちば)(めずら)しい魚を食べたりするのも、(たび)の大きな楽しみです。その土地(とち)の食べ物を味わうのも楽しい経験(けいけん)です。
今回(こんかい)は、沖縄(おきなわ)遺跡(いせき)()()げたいと思います。遺跡(いせき)に行くと、私は(むかし)の人たちの心に()れ、過去(かこ)対話(たいわ)しているような気持ちになります。たとえ古い時代のものでも、時を()えて対話(たいわ)できます。とくに、歴史(れきし)を学ぶのが()きな人にとって、遺跡(いせき)はディズニーランド以上の楽しみを(あた)えてくれるでしょう。

港川遺跡公園(みなとがわいせきこうえん)(つづ)階段(かいだん)

港川人(みなとがわじん)(さと)」の()

沖縄(おきなわ)に旅行したとき、以前(いぜん)から行きたかった八重瀬町(やえせちょう)にある「港川(みなとがわ)遺跡(いせき)」を見に行きました。ここは港川(みなとがわ)フィッシャー遺跡(いせき)とも、呼ばれています。港川(みなとがわ)場所(ばしょ)の名前です。フィッシャーは(がけ)()れたところという意味です。ここは沖縄(おきなわ)旧石器時代(きゅうせっきじだい)代表(だいひょう)する遺跡(いせき)です。「港川人(みなとがわじん)」と()ばれる人の(ほね)発見(はっけん)された場所(ばしょ)として、有名です。現在(げんざい)では「港川遺跡公園(みなとがわいせきこうえん)」として整備(せいび)されています。

遺跡(いせき)見学(けんがく)は楽しい体験(たいけん)です。けれども、遺跡(いせき)よりも、「港川人(みなとがわじん)」の(ほね)発見(はっけん)した大山(おおやま)盛保(せいほ)物語(ものがたり)が、私にとってもっと魅力的(みりょくてき)です。

港川人(みなとがわじん)発見(はっけん)したのは、考古学(こうこがく)専門家(せんもんか)ではありません。大山(おおやま)盛保(せいほ)という名の一人の考古学(こうこがく)ファンです。(かれ)発掘(はっくつ)を行った結果(けっか)、その()港川人(みなとがわじん)」と()ばれるようになった人間の全身(ぜんしん)(ほね)発見(はっけん)することができたのです。その情熱(じょうねつ)は、多くの人の心を動かし、学者(がくしゃ)たちも発掘(はっくつ)協力(きょうりょく)しました。

港川遺跡公園(みなとがわいせきこうえん)の上を通る港川(みなとがわ)バイパス

大山(おおやま)盛保(せいほ)は、沖縄(おきなわ)北中城村(きたなかぐすくそん)で生まれました。15(さい)のとき、家族がカナダに移住(いじゅう)することになり、一緒(いっしょ)にカナダに(わた)りました。より()生活(せいかつ)(もと)めてのことでしょう。()れない外国生活(せいかつ)苦労(くろう)も多かったことでしょう。それでも、大山(おおやま)の家族は(みんな)で力をあわせ、森林(しんりん)開拓(かいたく)し、大きな農場(のうじょう)経営(けいえい)するようになりました。成功(せいこう)をおさめたのです。(うれ)しく、(ほこ)らしかったことでしょう。

農場(のうじょう)経営(けいえい)順調(じゅんちょう)でした。ところが、不幸(ふこう)なことに、日本はアメリカと戦争(せんそう)を始めました。日本人である大山(おおやま)一家(いっか)は、すべての財産(ざいさん)没収(ぼっしゅう)され、収容所(しゅうようじょ)に入れられてしまいます。戦争(せんそう)が終わった後も(くる)しみは(つづ)き、故郷(こきょう)である沖縄(おきなわ)に帰ってきました。(ほか)の道はなかったのでしょう。絶望(ぜつぼう)したに(ちが)いありません。けれども、(かれ)()けませんでした。カナダで(おぼ)えた英語力を()かし、通訳(つうやく)として活躍(かつやく)するようになります。そして、実業家(じつぎょうか)として成功(せいこう)をおさめ、沖縄(おきなわ)(はつ)のガソリンスタンドなどを経営(けいえい)するようになりました。

(かれ)は子どもの(ころ)から、ひたすら(はたら)いていました。学校に通う余裕(よゆう)はなく、商売(しょうばい)(はげ)日々(ひび)でしたから、学問には(えん)のない日々(ひび)()ごしていたのです。ところが、1967年、55(さい)のとき、人生(じんせい)()えるきっかけになった大きなできごとが()こります。家の(にわ)(いけ)をつくるために買った石灰岩(せっかいがん)の中に、動物の化石(かせき)付着(ふちゃく)していることに気が付いたのです。興味(きょうみ)を持った大山(おおやま)は、その(いし)がどこから来たのか調(しら)べてみました。すると、沖縄県(おきなわけん)具志頭村(ぐしかみそん)現在(げんざい)八重瀬町(やえせちょう))の(いし)だとわかりました。

(かれ)(めずら)しいものや知らないものを調(しら)べるのが()きな性格(せいかく)でした。自分の手で発掘(はっくつ)して、「動物の化石(かせき)があるのなら、それを()う人間がいたはずだ」と考え、なぜそこに化石(かせき)があるのか明らかにしようと決心(けっしん)しました。(いそが)しい仕事の合間(あいま)をぬって採石場(さいせきじょう)に通い、ひたすら発掘(はっくつ)(つづ)けました。そして、とうとう、のちに、「港川人(みなとがわじん)」とよばれるようになる人の(ほね)一部(いちぶ)発見(はっけん)したのです。(かれ)(だれ)かに(たの)まれて発掘(はっくつ)したわけではありません。必要(ひつよう)費用(ひよう)は自分で支払(しはら)いました。家族や社員(しゃいん)(かれ)(たす)けてくれました。

どうしてここまで発掘(はっくつ)熱心(ねっしん)になったのでしょう。きっと何かがあるという(かん)(はたら)いたのでしょうか? それとも、発掘(はっくつ)が楽しくてたまらなかったのでしょうか? 私は次第(しだい)に、「港川人(みなとがわじん)」の存在(そんざい)より、大山(おおやま)盛保(せいほ)という人物に心を(うば)われていきました。

(あらた)めて考えてみると、考古学(こうこがく)で、世紀(せいき)大発見(だいはっけん)()たしたのは、専門家(せんもんか)とは(かぎ)りません。日本の岩宿(いわじゅく)遺跡(いせき)発見者(はっけんしゃ)として名高(なだか)相沢(あいざわ)忠洋(ただひろ)は、もとは商品(しょうひん)()(ある)行商人(ぎょうしょうにん)でした。彼は自分で考古学(こうこがく)を学び、研究を(つづ)けました。

ツタンカーメンの(はか)発見(はっけん)したハワード・カーターも、高等教育(こうとうきょういく)()けてはいませんでした。(かれ)は一人で学び、自分の(かん)(しん)じてスコップで地面(じめん)()り、すばらしい結果(けっか)(のこ)したのです。

大山(おおやま)盛保(せいほ)が「港川人(みなとがわじん)」を発見(はっけん)したのは、1970年8月10日のことでした。その日は午後5時まで、会議(かいぎ)出席(しゅっせき)していました。仕事が終わるとすぐに港川(みなとがわ)遺跡(いせき)()かい、いつものようにフィッシャーの中にたまった土を()(はじ)めました。そして、とうとう地下(ちか)(やく)20メートルの地点(ちてん)で、人の(ほね)化石(かせき)発見(はっけん)したのです。その後、近くで出土(しゅつど)した炭化物(たんかぶつ)を使って(おこな)われた放射性炭素年代測定(ほうしゃせいたんそねんだいそくてい)という専門的(せんもんてき)検査(けんさ)などによって、この(ほね)(たし)かに2万2千年前の旧石器(きゅうせっき)時代のものであると証明(しょうめい)されたのです。

港川人(みなとがわじん)骨格標本(こっかくひょうほん)(レプリカ)

地層(ちそう)確認(かくにん)できます

港川人(みなとがわじん)」には、まだいくつかの(なぞ)(のこ)っています。旧石器(きゅうせっき)時代の(ほね)であることは間違(まちが)いありません。ただし、発見(はっけん)されたのは人の(ほね)だけで、(かれ)らが使っていたであろう道具(どうぐ)発見(はっけん)されていないのです。なぜ、数体分(すうたいぶん)の人の(ほね)がまとまって、(がけ)()れ目であるフィッシャーの中から発見(はっけん)されたかについても、意見が()かれています。いずれの(せつ)が正しいかは、今後の研究を待つほかありません。それでも、大山(おおやま)盛保(せいほ)情熱(じょうねつ)は、今も考古学者(こうこがくしゃ)(たち)記憶(きおく)(のこ)り、私たちの心を動かします。

2016年に「港川遺跡(みなとがわいせき)」は歴史(れきし)の中で重要(じゅうよう)場所(ばしょ)である「史跡(しせき)」に指定(してい)されました。ぜひ、行ってみてください。

港川(みなとがわ)遺跡(いせき)上部(じょうぶ)から、雄樋川(ゆひがわ)見渡(みわた)せます

沖縄(おきなわ)には、(ほか)にも興味深(きょうみぶか)遺跡(いせき)がたくさんあります。これからも、沖縄(おきなわ)遺跡(いせき)を旅して歩きながら、その発見(はっけん)全力(ぜんりょく)をつくした人物について調(しら)べたいと思います。

文:三浦暁子

写真:八重瀬町立具志頭歴史民俗資料館/三浦暁子

(2023.3.3)

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