徳川家康
徳川家康は、日本の戦国時代から江戸時代にかけての武将であり、江戸幕府(幕府とは武士による政権のこと)の初代将軍として知られています。彼の人生は、多くの困難や挑戦に満ちていましたが、最終的には日本全土を統一し、平和な時代を築くことに成功した人物です。
そんな波乱に満ちた徳川家康の人生を紹介します。
家康の生まれた岡崎城
家康が躍進したことから出世城とも呼ばれる浜松城
1582年、本能寺の変で織田信長が明智光秀に討たれた後、豊臣秀吉が関白(天皇の臣下として一番高い地位)となり時代の主導権を握ります。摂津国(現在の大阪府大阪市)に豪華な大阪城を築き、天下統一目前まで勢力を拡大します。その秀吉の勢いに押され、家康は秀吉と主従関係を結びます。しかし秀吉の死後、家康は次第に力を強め、1600年の関ヶ原の戦いで石田三成率いる西軍に勝利しました。この戦いは、「天下分け目の決戦」と言われ、勝利した家康は結果的に日本全土を統一することとなりました。
日本の統一までに大きな功績を残した織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三人を「戦国時代の三英傑(才能と知恵がとても優れている人のこと)」と呼びます。
天下分け目の決戦と言われる関ヶ原の戦いを描いた屏風(岐阜関ケ原古戦場記念館蔵)
1603年、家康は天皇より征夷大将軍(武士の中での最高権力者)に任命され、現在の東京に江戸幕府を開きました。これにより、日本は戦乱の時代を抜け、200年以上続く「江戸時代」に突入しました。
現在の皇居に位置していた江戸城
家康による統治は、法と秩序を重視し、農業や商業の発展を奨励しました。例えば、法律(武家諸法度)を制定したり、大名に一年おきに自分の領地から江戸へ来させたり(参勤交代)して各大名への統制を効かせ、貨幣の統一や街道の整備などによって経済の活性化を促しました。また現代の教育機関にあたるような寺子屋の設立を奨励し、教育の発展にも力を入れました。こういった家康の取り組みにより、日本は安定した社会を築くことができました。
家康は、自らの健康にも気を使い、長生きするために様々な工夫をしたと言われています。特に食生活に気を配り、質素な食事を心がけたり、自分で育てた薬草で薬を作ったりしていました。また、日々の運動や健康管理も欠かさず行いました。その結果、家康は73歳まで生き、当時としては非常に長生きでした。
徳川家康を祀る日光東照宮・陽明門
家康の人生は、困難を乗り越えながらも冷静な判断と戦略的な思考を持ち続けたことで、日本全土を統一し、平和な時代を築いた一つの例です。その業績は、今もなお多くの人々に尊敬され、日本の歴史に刻まれています。
家康の有名な教えの一つに「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」という言葉があります。この言葉は、忍耐強く状況を見守り、最善の時を待つ姿勢を表しています。生涯を通じて、この教えは家康の行動に現れており、多くの困難な状況を乗り越える力となりました。
文:鈴木大
写真:photoAC
イラスト:Adobe Stock
(2024.10.8)