春の俳句③

春の俳句の3作目です。俳句における「春」は、今でいうと、だいたい2月から4月のことをいいます。それをイメージして読んでみてください。
「赤い椿 白い椿と 落ちにけり」河東碧梧桐
どんな様子が目に浮かびますか。
この句の解釈については、意見が分かれているようです。一つは、赤い椿の花と白い椿の花がすでに地面に落ちている様子を詠んだ句、もう一つは、赤い椿が落ち、そして次に白い椿が落ちていく、その動きを詠んだ句、という意見です。
みなさんはどちらをイメージしたでしょうか。どちらにしても、赤と白のコントラストが鮮やかで美しい句ですね。

椿はみなさんの国にもありますか。
椿は早春、つまり2月ごろに咲く花で、色は赤、白、ピンクなどです。葉もつやつやした深い緑色で美しいです。2月ごろはまだ寒く、花も少ないので、華やかな色の椿は人々の目を引きます。
また、椿は花びらが一枚ずつ散るのではなく、花全体が落ちるのも特徴です。



俳句は5・7・5の17文字が基本ですが、この句は最初の「あかいつばき」が6文字です。基本の数より文字が多いのを「字余り」といいます。基本より1文字多いと、リズムが少し崩れます。リズムを崩すことで強い印象を与えるのです。それが字余りの効果です。
この句を詠んだ河東碧梧桐(1873年~1937年)は、どんな人物だったのでしょうか。
碧梧桐は今の愛媛県松山市で生まれました。松山出身の有名な俳人といえば、正岡子規(1867年~1902年)です。碧梧桐は高浜虚子(1874年~1959年)とともに、子規を先生として俳句を学びました。虚子と碧梧桐は非常に仲がよかったようですが、俳句に対する考え方が異なり、次第に方向性の違う俳句を追い求めるようになりました。
子規の死後、虚子は伝統的な俳句を詠み、碧梧桐は新しい傾向の俳句をつくりました。碧梧桐は5・7・5の形や季語に縛られずに、感情を自由に表現しました。1906年から1911年にかけて全国を回って新しい俳句を広めましたが、虚子との対立も深まり、次第に活動の勢いは弱くなっていったようです。
碧梧桐のお墓は、故郷の松山市と東京都台東区にあります。



出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」