冬の俳句②
冬の俳句の3作目です。俳句における「冬」は、今でいうと、だいたい11月から1月のことをいいます。それをイメージして読んでみてください。
どのような情景が目に浮かぶでしょうか。まず、言葉の意味を確認しましょう。
「冬菊」とは冬に咲く菊の花です。「まとふ」は「まとう」という動詞で、着る、身につけるという意味です。「おの」は自分の、「ひかりのみ」はひかりだけという意味です。句全体では、「冬の寒さの中で咲いている菊が身にまとっているのは、自分の中から出ている光だけだ」という意味でしょうか。
「自分の光を着る」というのは、どういうことなのでしょう。菊が光るわけではありませんね。寒い冬、多くの植物は枯れてしまいますが、そんな中、冬菊は一人で静かに咲いています。自分自身の中から出てくるような、凛とした美しさ、輝きを「おのがひかり」と表現したのではないでしょうか。
この句を詠んだ水原秋桜子(Shūōshi, 1892年~1981年)はどのような人物だったのでしょうか。
秋桜子は1892年に東京で生まれました。家が病院だったので、秋桜子も大学を卒業して医者になりました。医学の専門学校の先生をしたり、天皇家に仕える医者としても活躍しました。
大学生のころに俳句と出会い、『ホトトギス』という俳句の雑誌に作品を発表するようになります。そして、有名な俳人である高浜虚子(1874年~1959年)を先生として俳句を学びました。同じく虚子のもとで俳句を学んでいた山口誓子(Seishi,1901年~1994年)、高野素十(Sujū,1893年~1976年)、阿波野青畝(Seiho,1899年~1992年)と四人で、「ホトトギスの四S」と呼ばれ、存在感を示しました。しかし、秋桜子は、虚子の「客観写生」、すなわち、見たものをそのまま書くという考え方にだんだん疑問を持つようになりました。そして、より強く自分の気持ちや考えを俳句に反映させる「主観写生」を追求するようになります。そこで、秋桜子は山口誓子などとともに、新興俳句運動と呼ばれる、俳句の近代化を目指す運動を始めます。1931年には、俳句の雑誌『馬酔木』を作り、新しい表現の俳句を積極的に発表し、広めました。このような試みは俳句の世界に大きな影響を与えました。
朝日新聞社, Public domain, via Wikimedia Commons
この句は、秋桜子が新興俳句運動を進める中で詠んだ句で、「冬菊」の写生をしつつ、「ひかりのみ」という表現で、秋桜子の気持ちや考えを強く映し出しています。秋桜子は自分の家の庭に菊を植えて楽しんでいたそうです。冬の寂しさの中で咲く可憐な冬菊に心を打たれて、この句を詠んだのかもしれません。
秋桜子は、88歳で亡くなるまで俳句を作り続けました。医者として働きながら、俳句の表現の可能性を広げた俳人として、今も高く評価されています。
文:新階由紀子
画像:写真AC/ウィキメディア・コモンズ/近代日本人の肖像
(2026.2.13)