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(ふゆ)俳句(はいく)

冬の俳句(はいく)の2作目(さくめ)です。俳句(はいく)における「冬」は、今でいうと、だいたい11月から1月のことをいいます。それをイメージして読んでみてください。

極月(ごくげつ)や 雪山(ゆきやま)(ほし)を いただきて」飯田蛇笏(いいだだこつ)

どんなイメージが()かんできますか。「極月(ごくげつ)」は12月のことで、「雪山(ゆきやま)」は(ゆき)()もった山、「(ほし)をいただく」は(ほし)(あたま)の上にのせるという意味です。()全体(ぜんたい)では、「12月、1年の終わりだなあ。雪山(ゆきやま)の上に(ほし)が見えていて(うつく)しいなあ」という意味でしょうか。(うつく)しく(しず)かな冬の夜の景色(けしき)が目に()かぶようです。()(くら)な空に(ほし)(かがや)き、()んだ空気の中、自然(しぜん)の大きさと(しず)けさを強く(かん)じます。どこか神秘的(しんぴてき)雰囲気(ふんいき)もあります。

この()()んだ飯田(いいだ)蛇笏(だこつ)(1885年~1962年)はどのような人物(じんぶつ)だったのでしょうか。

飯田(いいだ)蛇笏(だこつ)は、1885年に山梨県(やまなしけん)()まれました。(おさな)いころから文学(ぶんがく)俳句(はいく)(した)しむ環境(かんきょう)だったようで、それが蛇笏(だこつ)基礎(きそ)を作りました。中学から大学にかけて俳句(はいく)()を作ることに(はげ)みました。大学では「早稲田(わせだ)吟社(ぎんしゃ)」という句会(くかい)の中心メンバーとして活躍(かつやく)し、俳句(はいく)雑誌(ざっし)「ホトトギス」にも作品(さくひん)発表(はっぴょう)しました。その後、大学を退学(たいがく)し、山梨(やまなし)(もど)って俳句(はいく)を作り(つづ)けました。1917年には俳句(はいく)雑誌(ざっし)雲母(うんも)」を作り、山梨(やまなし)俳句(はいく)発展(はってん)に力を(そそ)ぎました。蛇笏(だこつ)は学生時代以外のほとんどを山梨(やまなし)自然(しぜん)の中で()ごしたためか、(かれ)俳句(はいく)には大きな自然(しぜん)季節(きせつ)変化(へんか)がよく出てきます。その(うつく)しく、(しず)かで上品(じょうひん)言葉(ことば)からは、蛇笏(だこつ)自然(しぜん)(たい)する(ふか)尊敬(そんけい)の気持ちが(かん)じられます。自然(しぜん)(うつく)しく表現(ひょうげん)しているという(てん)で、俳句(はいく)神様(かみさま)である松尾(まつお)芭蕉(ばしょう)のようだと評価(ひょうか)されることもあります。自然(しぜん)(あい)し、自然(しぜん)(ふか)()()いながら生きた俳人(はいじん)だったのでしょう。

飯田(いいだ)蛇笏(だこつ)

朝日新聞社, Public domain, via Wikimedia Commons

蛇笏(だこつ)には5人の息子(むすこ)がいましたが、そのうち長男(ちょうなん)三男(さんなん)戦争(せんそう)()くなり、次男(じなん)(わか)いときに()くなっています。子どもに()なれるという(かな)しい経験(けいけん)も、蛇笏(だこつ)俳句(はいく)影響(えいきょう)(あた)えているかもしれません。四男(よんなん)飯田(いいだ)龍太(りゅうた)(1920年~2007年)は蛇笏(だこつ)(あと)()ぎ、俳句(はいく)の道に(すす)みました。蛇笏(だこつ)にとっては大きな希望(きぼう)だったことでしょう。

山梨県(やまなしけん)甲府市(こうふし)には山梨(やまなし)県立(けんりつ)文学館(ぶんがくかん)があり、その中に「飯田(いいだ)蛇笏(だこつ)飯田(いいだ)龍太(りゅうた)記念室(きねんしつ)」があります。そこで蛇笏(だこつ)龍太(りゅうた)俳句(はいく)の世界に()れることができます。機会(きかい)があったら、ぜひ(たず)ねてみてください。

山梨(やまなし)県立(けんりつ)文学館(ぶんがくかん)ウェブサイト

https://www.bungakukan.pref.yamanashi.jp/

文:新階由紀子

画像:写真AC/ウィキメディア・コモンズ

(2025.12.5)

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