「べんけい」は漢字で「弁慶」と書きます。この人は12世紀(せいき)に活躍(かつやく)しました。もともとは、延暦寺(えんりゃくじ)という寺(てら)がある比叡山(ひえいざん)のお坊(ぼう)さんでした。比叡山(ひえいざん)は京都(きょうと)の東にあります。弁慶(べんけい)は源義経(みなもとのよしつね)という武士(ぶし)の大将(たいしょう)の家来になり、有名になりました。どうして有名になったかというと、武術(ぶじゅつ)にすぐれとても勇気(ゆうき)のある人だったからです。
五条橋(ごじょうばし)の牛若丸(うしわかまる)と弁慶(べんけい)
(顔(かお)が見えている人物が弁慶(べんけい)、出典:ColBase)
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源義経(みなもとのよしつね)
弁慶(べんけい)は1189年に、主人の義経(よしつね)とともに今の岩手県(いわてけん)平泉(ひらいずみ)というところで、義経(よしつね)の兄の源頼朝(みなもとのよりとも)の軍(ぐん)にせめられて死にます。その戦(たたか)いのときに、弁慶(べんけい)は大きななぎなたという武器(ぶき)を杖(つえ)にして、橋(はし)の中央(ちゅうおう)で立ったまま死んだという伝説(でんせつ)があります。この伝説(でんせつ)から「弁慶(べんけい)の立ち往生(おうじょう)」という語が生まれました。前に進(すす)むことも後ろへ退(ひ)くこともできなくなる、どうすることもできない状態(じょうたい)になるという意味です。「道が大雪(おおゆき)でうもれて弁慶(べんけい)の立ち往生(おうじょう)になる」などと使います。
弁慶(べんけい)の立ち往生(おうじょう)
また、弁慶(べんけい)を強い者、強そうにする者と考えて、「内弁慶(うちべんけい)」という語も生まれました。「内(うち)」は家の中という意味です。家にいるときや家族の前では弁慶(べんけい)のように強そうにしたりいばったりしている人でも、外に出たり家族以外の人の前ではまったく元気がなくなるという意味です。そのような人っていますよね。「我(わ)が家の一番(いちばん)下の子は内弁慶(うちべんけい)でこまる」などと使います。
人間の体の部分(ぶぶん)にも「弁慶(べんけい)」の名が付(つ)けられたところがあります。「向(む)こうずね」のことです。俗(ぞく)な言い方ですが、ここの部分(ぶぶん)を「弁慶(べんけい)の泣(な)き所(どころ)」と言います。足のひざから下を「すね」と言いますが、「向(む)こうずね」はその前面(ぜんめん)の部分(ぶぶん)のことです。この部分(ぶぶん)は肉があまり付(つ)いていないので、そこを何かにぶつけるとすごく痛(いた)いと思います。そのため、弁慶(べんけい)ほどの豪傑(ごうけつ)でも、ここをぶつけると痛(いた)がって泣(な)くということからそのように言われるようになりました。
弁慶(べんけい)の泣(な)き所(どころ)(向(む)こうずね)
この「弁慶(べんけい)の泣(な)き所(どころ)」という語は、からだの最(もっと)も弱(よわ)いところということから、強い者のもっとも弱(よわ)いところ、ただ一つの弱点(じゃくてん)という意味でも使われます。「すぐに決(き)められないところがあの人の弁慶(べんけい)の泣(な)き所(どころ)だ」のように使います。ただ、この場合(ばあい)、「弁慶(べんけい)の」と言わずに「泣(な)き所(どころ)」とだけ言うこともあります。
着物の文様(もんよう)にも、「弁慶(べんけい)」の名のついたものがあります。「弁慶縞(べんけいじま)」「弁慶格子(べんけいこうし)」とよばれているものです。紺(こん)と緑(みどり)がかった薄(うす)い藍色(あいいろ)、紺(こん)と茶など2種類(しゅるい)の色糸(いろいと)を縦(たて)と横(よこ)の両方(りょうほう)に使って、碁盤(ごばん)の目のようにした文様(もんよう)です。弁慶(べんけい)の荒々(あらあら)しいようすを表(あらわ)した文様(もんよう)だと言われています。ほんとうにそう感(かん)じられるかどうかはわかりませんが。
弁慶縞(べんけいじま)
いろいろなところに名前を残(のこ)した弁慶(べんけい)ですが、実際(じっさい)にはこのような人はいなかった、想像(そうぞう)から生まれた人物だという説(せつ)もあります。でも日本人は弁慶(べんけい)の伝説(でんせつ)が大好(だいす)きで、文学や歌舞伎(かぶき)などさまざまな作品にも登場(とうじょう)します。
文:神永曉
画像:ColBase/パブリックドメイン/写真AC/イラストAC
(2024.5.10)
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