春の俳句(はいく)
俳句(はいく)は、世界でいちばん短(みじか)い詩(し)と言われています。5・7・5のわずか17文字の中に、「季語(きご)」という季節(きせつ)を表(あらわ)すことばを入れ、その季節(きせつ)の景色(けしき)や心情(しんじょう)を表現(ひょうげん)します。俳句(はいく)を作ることを、俳句(はいく)を「詠(よ)む」といいますが、17文字の中に感(かん)じたことを詠(よ)み込(こ)み、思いを言葉(ことば)に乗(の)せるのが、俳句(はいく)の楽しさのひとつかもしれません。
よく知られている春の俳句(はいく)をご紹介(しょうかい)しましょう。俳句(はいく)における「春」は、今でいうと、だいたい2月から4月のことをいいます。それをイメージして読んでみてください。
「梅(うめ)が香(か)に のつと日(ひ)の出(で)る山路(やまじ)かな」松尾(まつお)芭蕉(ばしょう)
どんな様子(ようす)をイメージしますか。
簡単(かんたん)に言うと、「早春(そうしゅん)の朝、山道(やまみち)を歩いていると、梅(うめ)の香(かお)りがしてきて、それに誘(さそ)われるように太陽(たいよう)が昇(のぼ)ってきた」という意味です。
もう少し味わってみましょう。早春(そうしゅん)の朝というと、気温(きおん)はどうでしょうか。まだ少し寒(さむ)いでしょうね。そんな中、山道(やまみち)を歩いていると、どこからか、梅(うめ)のいい香(かお)りがしてきます。春を感(かん)じますね。そしてその香(かお)りが連(つ)れて来てくれたのでしょうか、赤い大きな太陽(たいよう)が「のっと」顔(かお)を出しました。「のっと」というのは当時(とうじ)の話し言葉(ことば)で、今の言葉(ことば)だと「ぬうっと」「急(きゅう)に」という感(かん)じのようです。太陽(たいよう)が昇(のぼ)って辺(あた)りが明るくなる様子(ようす)や、そこに春の訪(おとず)れを感(かん)じ、喜(よろこ)ぶ気持ちが伝(つた)わってくるようです。どこかで梅(うめ)の香(かお)りがしたら、この時の芭蕉(ばしょう)(作者)の気持ちを想像(そうぞう)してみるのも楽しいかもしれませんね。
この俳句(はいく)を詠(よ)んだ松尾(まつお)芭蕉(ばしょう)は、1644年に今の三重県(みえけん)伊賀市(いがし)で生まれた人です。俳句(はいく)の世界(せかい)を確立(かくりつ)し、俳(はい)聖(せい)、つまり俳句(はいく)の神様(かみさま)と呼(よ)ばれています。芭蕉(ばしょう)は、江戸(えど)(今の東京)を出発して、東北(とうほく)地方や北陸(ほくりく)地方などを通り、岐(ぎ)阜県(ふけん)の大垣(おおがき)までの旅(たび)をまとめた紀行文(きこうぶん)『奥(おく)の細道(ほそみち)』を残(のこ)しました。
『奥(おく)の細道(ほそみち)』の旅(たび)
その最初(さいしょ)の一文はとても有名で、芭蕉(ばしょう)が旅(たび)に出る前の気持ちが書かれています。
「月日(つきひ)は百代(はくたい)の過客(かかく)にして、行(ゆ)きかふ年(とし)もまた旅人(たびびと)なり」
(月日(つきひ)は永遠(えいえん)の旅人(たびびと)であり、過(す)ぎてはまた来る年(とし)もまた旅人(たびびと)である)
この一文から、芭蕉(ばしょう)の人生(じんせい)観(かん)、世界(せかい)観(かん)が感(かん)じられます。
この旅(たび)の目的(もくてき)は、昔(むかし)の歌に詠(よ)まれた場所(ばしょ)や歴史的(れきしてき)な場所(ばしょ)を訪(たず)ね、昔(むかし)の歌人らの心に触(ふ)れることだったといいます。各地(かくち)をめぐりながら、当時(とうじ)のことをあれこれ想像(そうぞう)していたのでしょう。また、訪(おとず)れた土地で歌人たちと交流(こうりゅう)し、そのことがその後(のち)の俳句(はいく)に大きな影響(えいきょう)を与(あた)えたようです。芭蕉(ばしょう)の辞世(じせい)の句(く)、つまり亡(な)くなる前の最後(さいご)の句(く)は「旅(たび)に病(や)んで夢(ゆめ)は枯野(かれの)を かけ廻(めぐ)る」です。解釈(かいしゃく)はいくつかあるようですが、最後(さいご)まで心は旅(たび)にあったことがうかがえる一(いっ)句(く)ですね。
芭蕉(ばしょう)記念館(きねんかん)がいくつかあります。機会(きかい)があったら、訪(たず)ねてみてはいかがでしょうか。
■江東区(こうとうく)芭蕉(ばしょう)記念館(きねんかん)
■山寺(やまでら)芭蕉(ばしょう)記念館(きねんかん)
■芭蕉(ばしょう)翁(おう)記念館(きねんかん)
文:新階由紀子
画像:写真AC/イラストAC
(2024.4.19)
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