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坊津(ぼうのつ)

坊津(ぼうのつ)という港町(みなとまち)

 坊津(ぼうのつ)鹿児島県(かごしまけん)(みなみ)さつま()にある港町(みなとまち)です。

 私がおっとに「坊津ぼうのつに旅行に行きたい」と言うと、かれは「えっ、それ、どこにあるの? なぜ行きたいの?」と言いました。有名な観光地かんこうちではありませんので、疑問ぎもんに思うのも当然とうぜんのことかもしれません。友達ともだちにも坊津ぼうのつを知っている人はほとんどいませんでした。鹿児島県かごしまけんに住んでいるいでさえ、「名前を聞いたことはあるけれど、行きたいと思ったことはない」とはっきり言いました。

 それでも、私は長い間、坊津(ぼうのつ)に行ってみたいと(ねが)っていました。坊津(ぼうのつ)は外国に()かって開いた(もん)のようなところで、歴史的(れきしてき)に大切な場所(ばしょ)だと知っていたからです。現在(げんざい)は人口も少なく、統計(とうけい)調(しら)べたら、人口は2015年におよそ1500人となっています。高齢者(こうれいしゃ)も多いため、過疎(かそ)の町だと言った方がいいかもしれません。

 けれども、私にとって、坊津(ぼうのつ)魅力(みりょく)のある町です。(むかし)から、坊津(ぼうのつ)はいい(みなと)がある場所(ばしょ)として外国にも広く知られていました。6世紀(せいき)から18世紀(せいき)までの間、坊津(ぼうのつ)貿易(ぼうえき)がさかんに行われる場所として、大変発展(はってん)していたのです。(ひがし)シナ(かい)(めん)していて、海岸(かいがん)は、鹿児島県(かごしまけん)ではただ一つのリアス海岸(かいがん)となっています。リアス海岸(かいがん)とは、でこぼこした海岸(かいがん)のことを()します。雨や風を()けて(ふね)が入るのにちょうどいい(かたち)海岸(かいがん)です。地図を(なが)めてみると、海岸線(かいがんせん)複雑(ふくざつ)に入り()んだ(かたち)をしていて、のこぎりのような(かたち)であることを確認(かくにん)できます。たしかに、(みなと)として使うのにぴったりだったでしょう。

 当時(とうじ)は、外国からの(ふね)様々(さまざま)商品(しょうひん)を運んできました。しかし、運ばれたのは商品(しょうひん)だけではありません。外国の宗教(しゅうきょう)文化(ぶんか)一緒(いっしょ)に入ってきました。島国(しまぐに)である日本にとって、坊津(ぼうのつ)はまさに南の玄関(げんかん)のような場所(ばしょ)だったのです。

鑑真(がんじん)」という人を知っていますか?

 坊津(ぼうのつ)は、753年に「鑑真(がんじん)」がやってきた地として有名です。みなさんは鑑真(がんじん)という名前を聞いたことがありますか?

 鑑真(がんじん)は中国のお(ぼう)さんです。688年に中国(ちゅうごく)で生まれ、 763年に日本で()くなりました。中国(ちゅうごく)では(とう)の時代に活躍(かつやく)した人です。日本から(とう)に行ったお(ぼう)さんに、「日本に行き、正しく仏教(ぶっきょう)(つた)えてほしいのです」と、(たの)まれ、(とう)から日本へ()かう決心(けっしん)をします。ところが、(あらし)にあったり、(つか)れのため目が見えなくなったりと、様々(さまざま)困難(こんなん)にあい、何度も失敗(しっぱい)します。しかし、鑑真(がんじん)は、あきらめることはありませんでした。753年、とうとう坊津(ぼうのつ)のすぐ近くにある(みなと)到着(とうちゃく)しました。現在(げんざい)の地名は、坊津町秋目(ぼうのつちょうあきめ)というところです。

 鑑真(がんじん)到着(とうちゃく)した場所(ばしょ)には、現在(げんざい)、「鑑真記念館(がんじんきねんかん)」が建っています。鑑真(がんじん)興味(きょうみ)がある方は(たず)ねてみるといいでしょう。鑑真(がんじん)唐招提寺(とうしょうだいじ)というお(てら)を作るなど、活躍(かつやく)しました。日本で仏教(ぶっきょう)を広めるために努力(どりょく)したのです。

 面白(おもしろ)いことに、1967年の『007は二度死ぬ』(You Only Live Twice)という映画のロケが坊津町秋目(ぼうのつちょうあきめ)で行われたといいます。ショーン・コネリー(えん)じるジェームズ・ボンドが、(むかし)鑑真(がんじん)到着(とうちゃく)した場所(ばしょ)で映画を撮影(さつえい)したと考えると、愉快(ゆかい)な気持ちになります。

すばらしい景色(けしき)

 坊津(ぼうのつ)歴史的(れきしてき)大変(たいへん)、意味のある場所(ばしょ)であることは、(すで)にお話ししました。けれども、たとえ歴史(れきし)知識(ちしき)がなくても、坊津(ぼうのつ)素敵(すてき)なところです。とくに、景色(けしき)(うつく)しさに(おどろ)かされます。海岸線(かいがんせん)沿()いをドライブしたら、とても気分がいいと思います。バスもありますが、(かず)は少ないです。都会(とかい)(ちが)便利(べんり)ではありませんが、有名な観光地(かんこうち)にはない独特(どくとく)魅力(みりょく)があります。

 私がとくに(おどろ)いたのは、(けわ)しい山が、ノコギリのような海岸線(かいがんせん)につながっていることでした。こんな景色(けしき)を私は今まで見たことがありませんでした。

 港町(みなとまち)として発展(はってん)していた坊津(ぼうのつ)ですが、江戸時代(えどじだい)には、貿易(ぼうえき)を行うことを禁止(きんし)させられてしまいます。鎖国政策(さこくせいさく)がとられたからです。鎖国政策(さこくせいさく)とは、外国との()()貿易(ぼうえき)禁止(きんし)したり、強く制限(せいげん)することを()します。江戸幕府(えどばくふ)はキリスト(きょう)禁止(きんし)するため、中国とオランダ以外の外国人が来たり、貿易(ぼうえき)をすることを(ゆる)しませんでした。もちろん、日本人が外国に()かうのも禁止(きんし)しました。とても(きび)しいもので、(つか)まると死罪(しざい)になる場合(ばあい)もありました。ところが、そんな状態(じょうたい)のもとでも、坊津(ぼうのつ)では秘密(ひみつ)貿易(ぼうえき)が行われていたといいます。坊津(ぼうのつ)には今も「密貿易屋敷跡(みつぼうえきやしきあと)」が(のこ)っていて、その時代の様子(ようす)(かん)じることができます。

 たとえどんなに禁止(きんし)されても、宣教師達(せんきょうしたち)はキリスト(きょう)(つた)えたいという強い希望(きぼう)を持っていました。夜の(くら)いうちに、見つからないように注意しながら、(ふね)でやって来ました。(つか)まったら(ころ)されると覚悟(かくご)しての入国です。そのとき、灯台(とうだい)の代わりに使われたと(つた)えられるあこうの木が、今も(のこ)っています。大きく、不思議(ふしぎ)な力を(かん)じさせる木です。火がともされたわけではありません。けれども、月の明かりのもと、海の上から(りく)(なが)めると、大きなあこうの木が目印(めじるし)になったといいます。(いのち)をかけてこっそり上陸(じょうりく)する者にとって、それは(たよ)りなる天然(てんねん)灯台(とうだい)だったことでしょう。

 また、海岸(かいがん)にある展望台(てんぼうだい)からは、(けん)のように(するど)双剣石(そうけんせき)を見ることができます。それぞれ高さ27メートルと21メートルの二つの(いし)で、きょうだいのように(なら)んでいます。有名な浮世絵師(うきよえし)である安藤広重(あんどうひろしげ)浮世絵(うきよえ)にも(えが)かれていて、時が止まったような気持ちになります。

もし、あなたが坊津(ぼうのつ)へ行ったら、(うつく)しい景色(けしき)を楽しむと同時に、ここが世界に()けて開かれていた(みなと)であったことを思い出してください。ただの小さな港町(みなとまち)のように見えますが、どこか秘密(ひみつ)(かお)りがする町を楽しんでください。そして、夕陽(ゆうひ)(うつく)しいところですから、海に夕陽(ゆうひ)(しず)むのを見るのも()経験(けいけん)となるでしょう。

文・写真:三浦暁子

(2021.12.15)

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