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美濃(みの)(やき)

今回(こんかい)美濃(みの)(やき)をご紹介(しょうかい)します。

美濃(みの)(やき)岐阜県(ぎふけん)の東の地域(ちいき)でつくられる()(もの)です。日本で生産(せいさん)される()(もの)(やく)50%が美濃(みの)(やき)です。もしかしたら、気がつかないうちに美濃(みの)(やき)食器(しょっき)などを使っているかもしれませんね。

美濃(みの)(やき)はいろいろな種類(しゅるい)がありますが、代表的(だいひょうてき)なのは(つぎ)の4つです。

()瀬戸(ぜと)

(うす)黄色(きいろ)()(もの)です。植物(しょくぶつ)模様(もよう)()かれていて、(みどり)部分(ぶぶん)や茶色く()げた部分(ぶぶん)があるタイプや、模様(もよう)はあまりないタイプなど、()瀬戸(ぜと)の中にもいくつか種類(しゅるい)があります。

瀬戸(せと)(ぐろ)

無地(むじ)の黒い茶碗(ちゃわん)です。(ふか)く、(うつく)しい黒の茶碗(ちゃわん)は、茶道(さどう)の世界で(よろこ)ばれるといいます。(つつ)のような(かたち)特徴的(とくちょうてき)です。

Metropolitan Museum of Art, CC0, via Wikimedia Commons

志野(しの)

白い(はだ)特徴(とくちょう)で、日本で(はじ)めての白い陶器(とうき)と言われています。ゆう(やく)という(くすり)をたくさんかけて()くので、ゆう(やく)がかかったところは(あつ)みがあり、(あたた)かさが(かん)じられます。(ねずみ)志野(しの)(あか)志野(しの)など、白以外(いがい)のものもあります。

織部(おりべ)

安土(あづち)桃山(ももやま)時代(じだい)(1573年~1603年)の武士(ぶし)で、茶道(さどう)の世界でも活躍(かつやく)した古田(ふるた)(しげ)(なり)古田(ふるた)織部(おりべ))(1544年~1615年)という人がつくらせた陶器(とうき)です。古田(ふるた)織部(おりべ)自由(じゆう)(うつく)しさが(この)みで、(かたち)()がっていたり、今までにないおもしろい模様(もよう)()かれたりしています。

遠藤元閑, Public domain, via Wikimedia Commons

では、美濃(みの)(やき)歴史(れきし)を見てみましょう。美濃(みの)(やき)奈良(なら)時代(じだい)(710年~794年)の須恵器(すえき)という、土で作った(うつわ)が始まりと言われています。その後、少しずつ発展(はってん)してきて、安土(あづち)桃山(ももやま)時代(じだい)(1573年~1603年)にピークを(むか)えます。()瀬戸(ぜと)瀬戸(せと)(ぐろ)志野(しの)織部(おりべ)などの陶器(とうき)は、この時期(じき)に生まれました。当時(とうじ)茶道(さどう)がはやっていて、茶碗(ちゃわん)など茶道(さどう)で使われる道具(どうぐ)が多く作られました。その後、江戸(えど)時代(じだい)(1603年~1868年)になると、日常(にちじょう)生活(せいかつ)で使われる食器(しょっき)がたくさん作られるようになり、磁器(じき)生産(せいさん)も始まりました。明治(めいじ)時代(じだい)(1868年~1912年)以降(いこう)技術(ぎじゅつ)(すす)み、作業(さぎょう)機械化(きかいか)され、大量(たいりょう)生産(せいさん)することができるようになりました。そして今、美濃(みの)(やき)は日本一の陶磁器(とうじき)生産量(せいさんりょう)()めるまでになりました。

多治見市(たじみし)美濃(みの)(やき)ミュージアム」

https://www.tajimi-bunka.or.jp/minoyaki_museum/

古田(ふるた)織部(おりべ)美術館(びじゅつかん)

http://www.furutaoribe-museum.com/

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文:新階由紀子

画像:写真AC/ウィキメディア・コモンズ

(2025.5.16)

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