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益子(ましこ)(やき)

今回(こんかい)益子(ましこ)(やき)をご紹介(しょうかい)します。

益子(ましこ)(やき)は、栃木県(とちぎけん)芳賀郡(はがぐん)益子町(ましこまち)で作られている陶器(とうき)です。

益子(ましこ)(やき)は、(あつ)くてシンプルなデザインのものが多く、(あたた)かい(かん)じがします。生活の中で使いやすく、お(さら)和食(わしょく)でも洋食(ようしょく)でも、いろいろな料理に()います。

益子(ましこ)(やき)江戸(えど)時代(じだい)(1603年〜1868年)の()わりごろ、大塚(おおつか)啓三郎(けいざぶろう)(1828年〜1876年)が始めたと言われています。大塚(おおつか)啓三郎(けいざぶろう)茨城県(いばらきけん)笠間市(かさまし)陶芸(とうげい)勉強(べんきょう)をして、その()益子(ましこ)()(もの)づくりを始めました。はじめは、(みず)がめや土瓶(どびん)(はち)など、生活でよく使う道具(どうぐ)を作っていたそうです。

益子(ましこ)(やき)有名(ゆうめい)陶芸家(とうげいか)といえば、濱田(はまだ)庄司(しょうじ)(1894年〜1978年)です。濱田(はまだ)はイギリスで陶芸(とうげい)の勉強をしました。その()、日本に(もど)り、1924年ごろから益子(ましこ)()(もの)を作るようになりました。濱田(はまだ)は、生活の中で使うものにこそ(うつく)しさがあるという「民芸(みんげい)運動(うんどう)」の中心(ちゅうしん)人物(じんぶつ)として活躍(かつやく)しました。それと同時(どうじ)に、益子(ましこ)(やき)も広く()られるようになります。

Unidentified (Ensian published by University of Michigan), Public domain, via Wikimedia Commons

その()、1959年ごろ、陶芸家(とうげいか)加守田(かもだ)章二(しょうじ)(1933年〜1983年)が益子(ましこ)()み、新しいタイプの()(もの)を作り始めました。とても現代的(げんだいてき)なデザインで、それまでの益子(ましこ)(やき)に新しいスタイルが(くわ)わりました。

今、益子(ましこ)には日本だけではなく、外国からもたくさんの陶芸家(とうげいか)(あつ)まっています。そして、益子(ましこ)(やき)伝統(でんとう)と新しいものを()()わせて、自由(じゆう)にいろいろな()(もの)を作っています。益子(ましこ)は新しいものを()()れる雰囲気(ふんいき)があるので、これからも時代に()わせて()わっていくかもしれません。

4月の終わりと11月の(はじ)めに「益子(ましこ)陶器(とうき)(いち)」があって、全国(ぜんこく)からたくさんの人が来ます。

また、益子(ましこ)には濱田(はまだ)庄司(しょうじ)記念館(きねんかん)美術館(びじゅつかん)もあります。機会(きかい)があったら、行ってみませんか。益子(ましこ)の今と(むかし)(かん)じることができるかもしれません。

益子町(ましこまち)観光(かんこう)協会(きょうかい)

http://blog.mashiko-kankou.org/ceramics_bazaar/

濱田(はまだ)庄司(しょうじ)記念(きねん)益子(ましこ)参考館(さんこうかん)

https://mashiko-sankokan.net/

益子(ましこ)陶芸(とうげい)美術館(びじゅつかん)

http://www.mashiko-museum.jp/

文:新階由紀子

画像:写真AC/Map-It マップイット | 地図素材サイト/ウィキメディア・コモンズ

(2025.1.10)

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