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秋の俳句(はいく)

秋の俳句(はいく)の2回目(かいめ)です。俳句(はいく)における秋は、今でいうと、だいたい8月から10月のことをいいます。それをイメージして読んでみてください。

(あき)(ぞら)を (ふた)つに()てり (しい)大樹(たいじゅ)高浜(たかはま)虚子(きょし)

どんな様子(ようす)が目に()かびますか。()(あらわ)すとしたら、みなさんはどんな()()きますか。

意味を簡単(かんたん)にいうと、「大きく()びた(しい)の木が、秋の空を二つに分けるように力強く立っているなあ」ということでしょうか。生命力(せいめいりょく)(いきお)いを(かん)じる()ですね。では、もう少し(ふか)く、この()の世界に入っていきましょう。

まず、「秋空」です。秋の空というと、どんな空をイメージしますか。秋晴(あきば)れという言葉(ことば)もあるように、秋の空はきれいに()れて、空気が()んで高く見えます。そして、そこに大きな(しい)の木です。さて、木は1本でしょうか。それとも何本も立っているのでしょうか。想像(そうぞう)(ふく)らみますね。

(しい)の木はみなさんの国にもありますか。日本では神社(じんじゃ)などにも()えられていて、いろいろなところでよく見られる身近(みぢか)な木です。一年中(みどり)()(しげ)っていて、()はどんぐりです。大きいものは25メートルぐらいのものもあるようです。(みき)がでこぼこして、ねじれているものもあります。そんな(しい)の木が秋の空を二つに分けるように堂々(どうどう)と立っている。秋のさわやかな空気も(かん)じられるようです。

どんぐり
(しい)の木((みき)がでこぼこしてねじれている)

この俳句(はいく)()んだのは、高浜(たかはま)虚子(きょし)(1874年~1959年)という人です。虚子(きょし)は、明治(めいじ)時代(じだい)(1868年~1912年)の(はじ)めに、今の愛媛県(えひめけん)松山市(まつやまし)で生まれました。松山(まつやま)出身(しゅっしん)の有名な俳人(はいじん)といえば、正岡(まさおか)子規(しき)(1867年~1902年)です。虚子(きょし)は1(さい)年上(としうえ)河東(かわひがし)碧梧桐(へきごとう)(1873年~1937年)とともに、子規(しき)を先生として俳句(はいく)を学びました。虚子(きょし)碧梧桐(へきごとう)非常(ひじょう)(なか)がよかったようですが、俳句(はいく)(たい)する考え方が(こと)なり、次第(しだい)方向性(ほうこうせい)(ちが)俳句(はいく)()(もと)めるようになりました。子規(しき)死後(しご)碧梧桐(へきごとう)は新しい傾向(けいこう)俳句(はいく)をつくり、それに(たい)して虚子(きょし)伝統的(でんとうてき)俳句(はいく)()(つづ)けたといいます。やがて、虚子(きょし)俳句(はいく)の世界で中心的(ちゅうしんてき)存在(そんざい)となっていきました。

高浜(たかはま)虚子(きょし)
河東(かわひがし)碧梧桐(へきごとう)

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出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」

虚子(きょし)は『ホトトギス』という俳句(はいく)雑誌(ざっし)編集(へんしゅう)もしていました。『ホトトギス』は、俳句(はいく)以外にも、夏目(なつめ)漱石(そうせき)(1867年~1916年)が小説(しょうせつ)吾輩(わがはい)(ねこ)である』や『()っちゃん』を発表(はっぴょう)したことでも知られています。この雑誌(ざっし)虚子(きょし)のひ(まご)(まご)の子ども)が今でも(つづ)けています。

虚子(きょし)記念館(きねんかん)があります。機会(きかい)があったら、(たず)ねてみませんか。

虚子(きょし)記念(きねん)文学館(ぶんがくかん)

http://www.kyoshi.or.jp/

鎌倉(かまくら)虚子(きょし)立子(たつこ)記念館(きねんかん)

https://tamamo.localinfo.jp/

文:新階由紀子

画像:写真AC/国立国会図書館「近代日本人の肖像」

(2024.11.8)

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