現存十二天守
そのころの日本は、現在のような都道府県ではなく、「国」と呼ばれる地域に分かれていました。「国」を大きく、強くするためにたくさんの城を建てたそうです。城は現在では観光名所ですが、もともと戦いのために作られた建物でした。
実は、約200の城のうち、その時代の「天守」が残っているのは12しかありません。
「天守」は城の中の一番重要な建物のことで、戦いのときにはそこで身を守りながら相手を攻撃するために使われました。高くて大きな「天守」を持つことは、強い力を持っていることを表しました。
このような昔の「天守」を残している城を「現存十二天守」と呼びます。上の写真にある大阪城や名古屋城もとても立派な城ですが、第二次世界大戦の後にもう一度作られたもので、「現存十二天守」ではありません。
ここでは、「現存十二天守」の中から代表して、3つ紹介しましょう。
まずは、松山城です。愛媛県にあります。
松山城は山の上にある、山城です。
リフトに乗って、上まで行くことができます。
松山城からは、松山市内全体を見ることができます。
とても高いところに建てられていることがわかりますね。
次は香川県の丸亀城です。
下から上までの石垣の高さは日本一だそうです。
丸亀城もとても高いところにあって、急な坂を歩いて登らなければなりません。
丸亀城からは瀬戸内海がよく見えます。
最後に紹介するのは兵庫県の姫路城です。
姫路城は世界遺産にも選ばれている城ですから、どこかで見たことがある人も多いのではないでしょうか。
姫路城の「天守」は、7階建てでとても高く、立派な建物です。
真っ白な姫路城は、白鷺という鳥が羽を広げた姿に見えることから「白鷺城」とも呼ばれています。
1つ目が、1615年に作られた「一国一城令」という法律です。そのころの日本は、武士が政治をしていました。「一国一城令」は、特別な場合以外は、1つの国は1つの城だけ持つことができる、という法律です。たくさん城を持っていた国は、一番大事な城だけ残して、他の城は壊さなければなりませんでした。
2つ目は、1873年に作られた「廃城令」という法律です。だんだん戦いが減り、武士の時代も終わりをむかえます。そうして、戦いのために作られた城も、使われなくなりました。城は古くなり、管理する人もいなくなってしまったのです。そこで、「廃城令」によって、城を壊すか、軍の建物として使うかが決められました。軍の建物として残った場合でも、その一部が壊された城もあったそうです。
3つ目は戦争です。
第二次世界大戦では、日本もたくさんの攻撃を受けました。名古屋城や広島城のように、その攻撃のせいで、壊れたり、焼けたりしてしまった城もあったのです。
その他の「現存十二天守」は、青森県の弘前城、長野県の松本城、福井県の丸岡城、愛知県の犬山城、滋賀県の彦根城、島根県の松江城、岡山県の備中松山城、愛媛県の宇和島城、高知県の高知城です。
彦根城(滋賀県)
松江城(島根県)
文:新谷知佳
写真:岡野秀夫/新谷知佳
(2023.2.28)