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現存十二天守(げんぞんじゅうにてんしゅ)

日本の(しろ)を見たことがありますか。

現在(げんざい)、日本にはいくつ(しろ)があるでしょうか。

大阪城(おおさかじょう)

名古屋城(なごやじょう)

こたえは、(やく)200です。

日本で(しろ)が多く作られたのは1600年ごろで、(たたか)いがたくさんあった時代でした。当時(とうじ)、3000〜4000の(しろ)があったと言われています。

そのころの日本は、現在(げんざい)のような都道府県(とどうふけん)ではなく、「国」と()ばれる地域(ちいき)に分かれていました。「(くに)」を大きく、強くするためにたくさんの(しろ)を建てたそうです。(しろ)現在(げんざい)では観光名所(かんこうめいしょ)ですが、もともと(たたか)いのために作られた建物でした。

(じつ)は、(やく)200の(しろ)のうち、その時代の「天守(てんしゅ)」が(のこ)っているのは12しかありません。

天守(てんしゅ)」は(しろ)の中の一番(いちばん)重要(じゅうよう)な建物のことで、(たたか)いのときにはそこで()(まも)りながら相手(あいて)攻撃(こうげき)するために使われました。高くて大きな「天守(てんしゅ)」を持つことは、強い力を持っていることを(あらわ)しました。

このような(むかし)の「天守(てんしゅ)」を(のこ)している(しろ)を「現存十二天守(げんぞんじゅうにてんしゅ)」と()びます。上の写真にある大阪城(おおさかじょう)名古屋城(なごやじょう)もとても立派(りっぱ)(しろ)ですが、第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん)の後にもう一度作られたもので、「現存十二天守(げんぞんじゅうにてんしゅ)」ではありません。

ここでは、「現存十二天守(げんぞんじゅうにてんしゅ)」の中から代表(だいひょう)して、3つ紹介(しょうかい)しましょう。

まずは、松山城(まつやまじょう)です。愛媛県(えひめけん)にあります。

松山城(まつやまじょう)は山の上にある、山城(やまじろ)です。

リフトに()って、上まで行くことができます。

松山城(まつやまじょう)からは、松山市内(まつやましない)全体(ぜんたい)を見ることができます。

とても高いところに建てられていることがわかりますね。

次は香川県(かがわけん)丸亀城(まるがめじょう)です。

丸亀城(まるがめじょう)は「現存十二天守(げんぞんじゅうにてんしゅ)」の中で(もっと)も小さな(しろ)ですが、すばらしい石垣(いしがき)があります。

下から上までの石垣(いしがき)の高さは日本一だそうです。

丸亀城(まるがめじょう)もとても高いところにあって、急な(さか)を歩いて(のぼ)らなければなりません。

丸亀城(まるがめじょう)からは瀬戸内海(せとないかい)がよく見えます。

最後(さいご)紹介(しょうかい)するのは兵庫県(ひょうごけん)姫路城(ひめじじょう)です。

姫路城(ひめじじょう)世界遺産(せかいいさん)にも(えら)ばれている(しろ)ですから、どこかで見たことがある人も多いのではないでしょうか。

姫路城(ひめじじょう)の「天守(てんしゅ)」は、7(かい)()てでとても高く、立派(りっぱ)な建物です。

真っ白な姫路城(ひめじじょう)は、白鷺(しらさぎ)という鳥が(はね)を広げた姿(すがた)に見えることから「白鷺城(しらさぎじょう)」とも()ばれています。

たくさんあった(しろ)が12に()ってしまった理由(りゆう)はさまざまですが、大きく3つの理由(りゆう)があると考えられています。

1つ目が、1615年に作られた「一国一城令(いっこくいちじょうれい)」という法律(ほうりつ)です。そのころの日本は、武士(ぶし)政治(せいじ)をしていました。「一国一城令(いっこくいちじょうれい)」は、特別な場合(ばあい)以外は、1つの国は1つの(しろ)だけ持つことができる、という法律(ほうりつ)です。たくさん(しろ)を持っていた国は、一番(いちばん)大事な(しろ)だけ(のこ)して、(ほか)(しろ)(こわ)さなければなりませんでした。

2つ目は、1873年に作られた「廃城令(はいじょうれい)」という法律(ほうりつ)です。だんだん(たたか)いが()り、武士(ぶし)の時代も終わりをむかえます。そうして、(たたか)いのために作られた(しろ)も、使われなくなりました。(しろ)は古くなり、管理(かんり)する人もいなくなってしまったのです。そこで、「廃城令(はいじょうれい)」によって、(しろ)(こわ)すか、(ぐん)の建物として使うかが()められました。(ぐん)の建物として(のこ)った場合(ばあい)でも、その一部(いちぶ)(こわ)された(しろ)もあったそうです。

3つ目は戦争(せんそう)です。

第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん)では、日本もたくさんの攻撃(こうげき)を受けました。名古屋城(なごやじょう)広島城(ひろしまじょう)のように、その攻撃(こうげき)のせいで、(こわ)れたり、()けたりしてしまった(しろ)もあったのです。

その(ほか)の「現存十二天守(げんぞんじゅうにてんしゅ)」は、青森県(あおもりけん)弘前城(ひろさきじょう)長野県(ながのけん)松本城(まつもとじょう)福井県(ふくいけん)丸岡城(まるおかじょう)愛知県(あいちけん)犬山城(いぬやまじょう)滋賀県(しがけん)彦根城(ひこねじょう)島根県(しまねけん)松江城(まつえじょう)岡山県(おかやまけん)備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)愛媛県(えひめけん)宇和島城(うわじまじょう)高知県(こうちけん)高知城(こうちじょう)です。

写真10

彦根城(ひこねじょう)滋賀県(しがけん)

松江城(まつえじょう)島根県(しまねけん)

この中には、丸亀城(まるがめじょう)のように「一国一城令(いっこくいちじょうれい)」で一度(こわ)されてしまった後、もう一度建てられた(しろ)や、松江城(まつえじょう)のように、「廃城令(はいじょうれい)」で(こわ)されることが()まったあとに、市民(しみん)の力で(のこ)すことになった(しろ)もあります。また、姫路城(ひめじじょう)のまわりの町は、第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん)のときに()けてしまいましたが、姫路城(ひめじじょう)だけが(のこ)ったそうです。
それぞれの(しろ)には、それぞれの江戸時代(えどじだい)から現在(げんざい)までの歴史(れきし)があります。
現存十二天守(げんぞんじゅうにてんしゅ)」は日本のいろいろなところにあって、すべて行くのは大変(たいへん)ですが、どこも一度は行ってみたいですね。

文:新谷知佳

写真:岡野秀夫/新谷知佳

(2023.2.28)

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