日本語多読道場 yomujp
「温泉(おんせん)」と聞いて、まずみなさんの頭(あたま)に浮(う)かぶのは、どんな場所(ばしょ)でしょうか?草津(くさつ)や箱根(はこね)のように、有名でにぎやかな観光地(かんこうち)をイメージする人が多いかもしれません。今回(こんかい)紹介(しょうかい)するのは、それとはまったく逆(ぎゃく)の場所(ばしょ)です。日本には、「秘境(ひきょう)」と呼(よ)ばれるところがたくさんあります。「秘境(ひきょう)」とは、山奥(やまおく)のように、交通(こうつう)が不便(ふべん)で、あまり人に知られていない場所(ばしょ)とか、住んでいる人や行く人が少ないところです。この秘境(ひきょう)に出る温泉(おんせん)のことを「秘湯(ひとう)」といいます。「秘密(ひみつ)のお湯(ゆ)」と書いて「ひとう」と読みます。「秘湯(ひとう)」の中には、ひとつの温泉(おんせん)地に一つの旅館しかないところや、昔(むかし)は近くの住民(じゅうみん)だけが利用(りよう)できた温泉(おんせん)もあります。今回(こんかい)は、群馬県(ぐんまけん)と長野県(ながのけん)の間にある「秘湯(ひとう)」に行ってみましょう。
まず次(つぎ)の写真を見てください。東京から電車で2時間半行き、さらに車で30分ほど走ったところの風景(ふうけい)です。ここにあるのは山奥(やまおく)の大自然(だいしぜん)と、たった一つの建物だけです。山と川に囲(かこ)まれた「秘境(ひきょう)」だということがわかるでしょう。ここは、霧積(きりづみ)温泉(おんせん)の「金湯館(きんとうかん)」で、名前のとおり霧(きり)が多く出る場所(ばしょ)です。
霧積(きりづみ)温泉(おんせん)「金湯館(きんとうかん)」
金湯館(きんとうかん)の近くの森(もり)
このあたりは、40年ほど前まで、電気も電話もなかったそうです。今でも旅館の外では、携帯(けいたい)電話が通じません。近くの場所(ばしょ)までは車で来ることができますが、急な山道なので、途中(とちゅう)で車を降(お)りて30分ほど歩くか、または旅館の車で移動(いどう)します。
金湯館(きんとうかん)の入口
建物の中の看板(かんばん)
よく見ると、入口の看板(かんばん)は「館湯金」と書かれています。これは昔(むかし)の日本では、文字を横書(よこが)きにする時、右から左の順番(じゅんばん)で書く習慣(しゅうかん)があったからです。もう一枚(まい)の写真(右側(みぎがわ))では、ふつうに左から右に読んで「金湯館(きんとうかん)」になっていますね。
金湯館(きんとうかん)の建物の中
昔(むかし)の時計と提灯(ちょうちん)
建物の中に入ると、低(ひく)い天井(てんじょう)や、昔(むかし)の時計があり、歴史(れきし)を感(かん)じることができます。実(じつ)は、ここは昔(むかし)から、有名な人がたくさんやってくる場所(ばしょ)でした。温泉(おんせん)が発見されたのは800年前ですが、明治(めいじ)時代(じだい)(1868-1912)になると、人びとが暑(あつ)い夏を避(さ)けるためにやって来る「避暑地(ひしょち)」として発展(はってん)しました。避暑地(ひしょち)といえば、今ではこの近くに有名な軽井沢(かるいざわ)がありますが、このころはまだ軽井沢(かるいざわ)が発展(はってん)していなかったのです。
金湯館(きんとうかん)に来た有名人の一覧(いちらん)
旅館の中に展示(てんじ)された勝(かつ)海舟(かいしゅう)の写真
上の写真は実際(じっさい)に、この旅館に来た有名人の名前です。日本の最初(さいしょ)の総理大臣(そうりだいじん)だった伊藤博文や、歴史(れきし)ドラマによく出てくる勝(かつ)海舟(かいしゅう)など政治家(せいじか)が何人もいます。旅館には、明治(めいじ)の時代が始まるとき、日本の憲法(けんぽう)をつくるのに使われた部屋(へや)が残(のこ)っています。詩人(しじん)の与謝野晶子(よさのあきこ)や、作家の森村誠一(もりむらせいいち)が書いた詩(し)やサインもありました。
宿泊する部屋(へや)
与謝野晶子(よさのあきこ)の詩(し)
森村誠一(もりむらせいいち)のサイン
昔(むかし)、霧積(きりづみ)温泉(おんせん)には、金湯館(きんとうかん)をあわせて42の旅館や別荘(べっそう)がありました。ところが110年ほど前に、まわりの山で大きな山崩(やまくず)れが2回(かい)起こり、ほぼすべての建物が流(なが)されてしまったのです。そんな中で、この旅館だけが無事(ぶじ)に残(のこ)りました。本当(ほんとう)に、奇跡(きせき)のようですね。それから今まで、この旅館が、大切な温泉(おんせん)を守(まも)ってきたのです。山奥(やまおく)にあり交通(こうつう)が不便(ふべん)なので、食料や必要(ひつよう)なものは、旅館の人が片道(かたみち)で3時間半以上、山道を歩いて運んだそうです。今では電気や電話がつながり、近くまで道路(どうろ)ができていますが、旅館から見える風景(ふうけい)をながめ、山菜(さんさい)がたくさん入ったご飯を食べると、山奥(やまおく)の「秘境(ひきょう)」にいることを実感(じっかん)します。
建物からの眺(なが)め
夕ご飯
霧積(きりづみ)温泉(おんせん)のお湯(ゆ)は、もともと犬が発見したという話があります。ケガをした犬が、体の傷(きず)を水たまりにつけていたのを不思議(ふしぎ)に思って、いっしょにいた人がその水を調(しら)べたら、温泉(おんせん)だったそうです。霧積(きりづみ)温泉(おんせん)には今でも「入之湯(いりのゆ)」という別の名前がありますが、これは「犬(いぬ)の湯(ゆ)」と発音が似(に)ていますね。日本のいろいろな温泉(おんせん)が見つかった時のお話には、よく生き物が出てきます。関東(かんとう)にも、ハトやヘビがケガをなおしたという温泉(おんせん)や、サルやカピバラが温泉(おんせん)に入るのを見ることができる観光地(かんこうち)があります。
今も源泉(げんせん)名に残(のこ)る「入之湯(いりのゆ)」
この地域(ちいき)の古い地図
実際(じっさい)にお湯(ゆ)の中に入ってみると、やわらかくて、ぬるぬるした感覚(かんかく)が体中に広がり、体が綿(めん)に包(つつ)まれていくような気分になります。ここのお湯(ゆ)は、自然(しぜん)に出ている温泉(おんせん)を、そのまま風呂(ふろ)に流(なが)している「かけ流(なが)し」です。お湯(ゆ)に消毒(しょうどく)の薬(くすり)や水、熱(ねつ)を加(くわ)えていないので、山から出る新鮮(しんせん)な温泉(おんせん)が楽しめます。霧積(きりづみ)温泉(おんせん)は39度から40度ぐらいと、温度(おんど)が少し低(ひく)いです。最初(さいしょ)はぬるいと感(かん)じるかもしれませんが、長い時間ゆっくりと、ぬるいお湯(ゆ)に入る「ぬる湯(ゆ)」は心と体をのんびりさせて、疲(つか)れをとることができます。特に春から夏の時期(じき)はおすすめです。
金湯館(きんとうかん)の温泉(おんせん)
「秘湯(ひとう)」の旅、いかがでしたか? ふだん、便利(べんり)な生活(せいかつ)に慣(な)れている私たちには、携帯(けいたい)電話も通じない山奥(やまおく)の生活(せいかつ)はなかなか想像(そうぞう)できないかもしれません。それでもここには本物の大自然(だいしぜん)と、昔(むかし)の有名人たちもあこがれた「秘密(ひみつ)のお湯(ゆ)」があります。みなさんも、ふだんの生活(せいかつ)からちょっと離(はな)れて、「秘湯(ひとう)」の世界に行ってみませんか?
文:白石誠
写真:白石誠
(2023.5.12)