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見返(みかえ)美人(びじん)()(17世紀)

この()菱川師宣(ひしかわもろのぶ)(1618年?〜1694年)の《見返(みかえ)美人(びじん)()》です。今の千葉県(ちばけん)に生まれた菱川師宣(ひしかわもろのぶ)は、江戸時代(えどじだい)(1603年〜1868年)前期(ぜんき)絵師(えし)で、それまでは本の挿絵(さしえ)だった()浮世絵(うきよえ)として絵画作品(かいがさくひん)にまで高めたことにより「浮世(うきよ)()()」と言われています。

自画像(じがぞう)(「鹿野武左衛門口伝咄(しかのぶざえもんくでんばなし)国立国会図書館デジタルコレクション

師宣(もろのぶ)の父は、縫箔師(ぬいはくし)でした。縫箔(ぬいはく)とは、金銀(きんぎん)(はく)刺繍(ししゅう)模様(もよう)を表すことです。縫箔(ぬいはく)模様(もよう)にはさまざまなものがあり、師宣(もろのぶ)は小さい頃から色とりどりの刺繍(ししゅう)下絵(したえ)のデザインを見ることで、絵師(えし)としての感性(かんせい)(みが)いて(そだ)ちました。

縫箔(ぬいはく)

生まれ育った千葉(ちば)から江戸(えど)(今の東京)に出てきた師宣(もろのぶ)は、初めは縫箔(ぬいはく)の仕事をしていました。しかし、ちょうどその(ころ)、文字や()()った木の(いた)を使って印刷(いんさつ)した本の出版(しゅっぱん)が広がり、庶民(しょみん)娯楽(ごらく)として本を手にするようになります。師宣(もろのぶ)()上手(じょうず)だったことから、本の挿絵(さしえ)()くようになりました。そして、挿絵(さしえ)を大きくすることで、文字が読めない人でも本を楽しめるようにし、ついには挿絵(さしえ)だけではなく、独立(どくりつ)した一枚の()として販売(はんばい)をはじめました。これが浮世絵(うきよえ)の始まりであり、師宣(もろのぶ)が「浮世絵(うきよえ)()」と言われる理由(りゆう)です。

それでは、()をよく見ていきましょう。この《見返(みかえ)美人(びじん)()》は、版画(はんが)ではなく肉筆浮世絵(にくひつうきよえ)手描(てが)きの浮世絵(うきよえ))です。歩いている女性が、ふと()り返った一瞬(いっしゅん)を切り取った作品で、縫箔(ぬいはく)にも見られた(こま)かい花の模様(もよう)丁寧(ていねい)(えが)かれています。(あで)やかな色の着物、当時(とうじ)流行(はや)っていた「吉弥(きちや)(むす)び」と呼ばれる(おび)(むす)び方、「玉結(たまむす)び」と言われる髪型(かみがた)まで、最先端(さいせんたん)流行(りゅうこう)(えが)いています。また、この()にはモデルがいないと言われています。特定(とくてい)(だれ)かではない江戸(えど)にいる女性(じょせい)(えが)くことで、どこかで見かけるかもしれない、という親近感(しんきんかん)現実(げんじつ)(かん)もこの()が人気になった理由(りゆう)でした。

細かい模様(もよう)が美しい着物と(おび)

玉結(たまむす)び」と言われる髪型(かみがた)

菱川師宣(ひしかわもろのぶ)功績(こうせき)は、それまで富裕層(ふゆうそう)しか持てなかった絵画(かいが)を、版画(はんが)にすることで広く安く庶民(しょみん)にも見られるようにしたことです。そのモチーフも高貴(こうき)なものではなく、着物や(おび)といったような「私たちが生きている今の世界(せかい)」=「浮世(うきよ)」の最先端(さいせんたん)題材(だいざい)(えが)かれています。その後、浮世絵(うきよえ)は、大衆娯楽(たいしゅうごらく)(当時のポップカルチャー)としてだけでなく、風俗(ふうぞく)、ファッション、ニュースなどを()()んだ庶民(しょみん)の生活の一部として広がって、確立(かくりつ)されていくことになります。《見返(みかえ)美人(びじん)()》は現在(げんざい)東京国立博物館(とうきょうこくりつはくぶつかん)所蔵(しょぞう)されています。

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文:Naoko Ikegami

画像:ColBase(部分画像はColBaseをもとに作成)/国立国会図書館デジタルコレクション

(2025.5.27)

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