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動植(どうしょく)綵絵(さいえ)(18世紀)

群鶏図(ぐんけいず)
群魚図(ぐんぎょず)
この2枚の絵は、伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)(1716年〜1800年)の《動植綵絵(どうしょくさいえ)》からの《群鶏図(ぐんけいず)》と《群魚(ぐんぎょ)()》です。伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)江戸時代(えどじだい)(1603年〜1868年)の画家(がか)で、京都市中にある市場(いちば)裕福(ゆうふく)青物(あおもの)問屋(どんや)(野菜の問屋(とんや))の長男として生まれました。《動植綵絵(どうしょくさいえ)》は1757年(ごろ)若冲(じゃくちゅう)が42(さい)頃から描き始めた作品群(さくひんぐん)で、全部で30(ぷく)もあり、50(さい)の頃に完成(かんせい)しました。ここにある(にわとり)や魚だけでなく、いろいろな鳥、草花(くさばな)昆虫(こんちゅう)などの動植物(どうしょくぶつ)が描かれた大作(たいさく)です
久保田(くぼた)米僊(べいせん)筆《伊藤(いとう)若冲(じゃくちゅう)(ぞう)》部分 Public domain, via Wikimedia Commons

左の《群鶏図(ぐんけいず)》は、《動植綵絵(どうしょくさいえ)》の中でも特に有名な作品で、13()(にわとり)がそれぞれ(こと)なる色と形で描かれています。若冲(じゃくちゅう)は、写生(しゃせい)をするために(にわ)何十羽(なんじゅっぱ)もの(にわとり)()って観察(かんさつ)していました。(かず)多くある(にわとり)の絵の中でも、この絵は集大成(しゅうたいせい)と言えるでしょう。(ちが)った表情(ひょうじょう)(にわとり)がさまざまな方向(ほうこう)を向き、(あたま)(からだ)がどうつながっているかよくわかりません。特に右下の2()複雑(ふくざつ)(から)み合っています。それにもかかわらず、一羽一羽(いちわいちわ)細部(さいぶ)(いた)るまで正確(せいかく)に描かれ、モダンアートとも思えるような力強(ちからづよ)さがあります。ここでは、顔料(がんりょう)(pigment) の他に(すみ)も使われています。

(から)まる2()

右の《群魚図(ぐんぎょず)》には、(たい)、イカ、ふぐなどいろいろな種類(しゅるい)の魚が描かれていて、市場(いちば)(そだ)った若冲(じゃくちゅう)は、市場(いちば)にある魚もよく観察(かんさつ)していたのだろうと想像(そうぞう)できます。左下にある「ルリハタ」(Gold ribbon Soapfish) は、日本の南側(みなみがわ)太平洋沿岸(たいへいようえんがん)()れる魚ですが、この魚の青い色を出すために紺青(こんじょう)(Prussian Blue) と呼ばれる人工(じんこう)顔料(がんりょう)が使われています。この顔料(がんりょう)は、1704年にドイツでできたもので、いち早く若冲(じゃくちゅう)が取り入れており、(のち)北斎(ほくさい)広重(ひろしげ)浮世絵(うきよえ)で使っています。

ルリハタ

30(ぷく)(およ)ぶ《動植綵絵(どうしょくさいえ)》は、綿密(めんみつ)写生(しゃせい)(もと)づく生物(せいぶつ)色鮮(いろあざ)やかに()()きと描かれています。また、金銭的(きんせんてき)余裕(よゆう)があった若冲(じゃくちゅう)は、かなり上質(じょうしつ)画絹(えぎぬ)(日本()を描くために作られた(きぬ)織物(おりもの))や顔料(がんりょう)存分(ぞんぶん)に使っているので保存状態(ほぞんじょうたい)もよく、200年以上()った今でもほとんど色褪(いろあ)せていないそうです。《動植綵絵(どうしょくさいえ)》は京都の相国寺(しょうこくじ)寄進(きしん)され、1889年皇室(こうしつ)(おさ)められた後、2021年に国宝(こくほう)になりました。現在(げんざい)皇居(こうきょ)三の丸尚蔵館(しょうぞうかん)収蔵(しゅうぞう)されています。

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文:Naoko Ikegami

画像:ColBase(部分画像はColBaseをもとに作成)/ウィキメディア・コモンズ

(2025.6.17)

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