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(ほのお)(1918年)

この絵は、上村(うえむら)松園(しょうえん)(1875年〜1949年)の《(ほのお)》です。上村(うえむら)松園(しょうえん)は、明治時代(めいじじだい)(1868年〜1912年)の画家(がか)で京都に生まれました。松園(しょうえん)気品(きひん)がある美人画(びじんが)を描くことで有名で、女性で初めて文化勲章(ぶんかくんしょう)受賞(じゅしょう)した日本を代表(だいひょう)する女流(じょりゅう)画家(がか)です。12歳で京都府画学校(きょうとふががっこう)(現在の京都(きょうと)市立(しりつ)芸術(げいじゅつ)大学(だいがく))に入学した松園(しょうえん)は、鈴木松年(すずきしょうねん)師事(しじ)し、15歳でデビューします。1893年に幸野楳嶺(こうのばいれい)に、1895年には竹内栖鳳(たけうちせいほう)師事(しじ)し、その才能(さいのう)開花(かいか)させていきました。

しかし、封建的(ほうけんてき)男性画家(だんせいがか)がいる京都画壇(きょうとがだん)の中で、才能(さいのう)()ちた若い女流画家(じょりゅうがか)松園(しょうえん)が絵を描き続ける事は、容易(ようい)なことではありませんでした。批判(ひはん)酷評(こくひょう)だけでなく、自分の絵に落書(らくが)きをされるなどの(いや)がらせもあったといいます。一時はスランプに(おちい)り、自分の道を(うしな)いかけた松園(しょうえん)でしたが、そのスランプ中に描いたのが、この《(ほのお)》です。

松園(しょうえん)の多くの美人画(びじんが)は、清純(せいじゅん)で、落ち着いた表情(ひょうじょう)を持った女性が描かれていますが、この《(ほのお)》は、異質(いしつ)な女性が描かれています。松園(しょうえん)は『源氏物語(げんじものがたり)』の「(あおい)」を元にした(のう)謡曲(ようきょく)葵上(あおいのうえ)」に出てくる六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)題材(だいざい)に「女性の嫉妬(しっと)(ほのお)」を描いたと言っています。『源氏物語(げんじものがたり)』に登場(とうじょう)する六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)は、プライドが高く、源氏(げんじ)が愛する他の女性に嫉妬(しっと)して()(りょう)になってしまいます。

(かみ)()みしめながら()り返る、情念(じょうねん)()ちた六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)表情(ひょうじょう)青白(あおじろ)く、(あや)しさが(ただよ)っています。その目は、白目の部分に(うら)から金を()る方法で彩色(さいしき)されています。着物には、(ふじ)の花と蜘蛛(くも)()が描かれています。また、直線(ちょくせん)はほぼ使われず、ほとんどの線が曲線(きょくせん)です。()れる(ふじ)の花や曲線(きょくせん)は、彼女の心の動揺(どうよう)を表しているのかもしれません。

(すそ)や足の部分は、ぼかされてはっきり描かれていません。ここでも、彼女が生きている人間ではなく、()(りょう)であることが暗示(あんじ)されています。この絵は189cm X 90cmの大作(たいさく)で、迫力(はくりょく)が感じられます。

松園(しょうえん)は、自分の作品の中でも《(ほのお)》は「たった一枚の凄艶(せいえん)な絵」と表現(ひょうげん)しています。《(ほのお)》で情念(じょうねん)表現(ひょうげん)完成(かんせい)させた松園(しょうえん)は、それ以降(いこう)、より(おだ)やかな気品(きひん)のある女性(ぞう)追求(ついきゅう)するようになったと言われています。《(ほのお)》は、文部省美術展覧会(もんぶしょうびじゅつてんらんかい)(文展)に出展(しゅってん)され、その後東京国立博物館(とうきょうこくりつはくぶつかん)所蔵(しょぞう)されました。

文:Naoko Ikegami

画像:ColBase(部分画像はColBaseをもとに作成)/近代日本人の肖像

(2025.11.14)

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