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(ふゆ)俳句(はいく)

俳句(はいく)は、世界でいちばん(みじか)()と言われています。5・7・5のわずか17文字(もじ)の中に、「季語(きご)」という季節(きせつ)(あらわ)すことばを入れ、その季節(きせつ)景色(けしき)心情(しんじょう)表現(ひょうげん)します。俳句(はいく)を作ることを、俳句(はいく)を「()む」といいますが、17文字(もじ)の中に(かん)じたことを()()み、思いを言葉(Words)()せるのが、俳句(はいく)の楽しさのひとつかもしれません。

今回(こんかい)は、冬の俳句(はいく)をご紹介(しょうかい)しましょう。俳句(はいく)における「冬」は、今でいうと、だいたい11月から1月のことをいいます。それをイメージして読んでみてください。

(おの)()れて()におどろくや冬木立(ふゆこだち)与謝(よさ)蕪村(ぶそん)

どんなイメージが()かんできますか。

この俳句(はいく)のだいたいの意味は、「(おの)で切ってみると、冬の()れている木でも、いい(かお)りがしてきて(おどろ)かされる」ということでしょうか。この()から作者(さくしゃ)(おどろ)きが(かん)じられますか。

では、じっくり味わってみましょう。

木立(こだち)というのは、1本ではなく、何本かまとまって()えている木のことです。(さむ)い冬の木立(こだち)はどんな様子(ようす)でしょうか。()れて()もない木を(おの)で切ってみると、冬の()れた木から、何とも言えない、いい(かお)りがしてきたのです。(ねむ)っているように見える木から出てくる力強い(かお)り。その(かお)りに、作者(さくしゃ)生命力(せいめいりょく)、つまり生きる力、エネルギーを(かん)じ、(おどろ)き、感動(かんどう)(おぼ)えたのでしょう。その気持ちが(つた)わってくるような()です。

この俳句(はいく)()んだ与謝(よさ)蕪村(ぶそん)(1716年~1783年)はどんな人物(じんぶつ)だったのでしょうか。

蕪村(ぶそん)は今の大阪(おおさか)で生まれました。10(だい)両親(りょうしん)()くし、20歳(はたち)(ころ)から、江戸(えど)(今の東京)で俳句(はいく)(まな)んだと言われています。(はい)(せい)、つまり俳句(はいく)神様(かみさま)とも()ばれる松尾(まつお)芭蕉(ばしょう)(1644年~1694年)に(あこが)れ、27(さい)(ころ)から芭蕉(ばしょう)が旅をした東北(とうほく)地方(ちほう)蕪村(ぶそん)も歩きました。(やく)10年間、旅をしながら俳句(はいく)()み、自分の俳句(はいく)(みが)いていきました。そして、旅を終えた後は、京都(きょうと)()らしたようです。

与謝蕪村像
出典:ColBase

蕪村(ぶそん)画家(がか)でもあり、()俳句(はいく)をつけた「俳画(はいが)」と()ばれる絵画(かいが)のジャンルを確立(かくりつ)しました。代表的(だいひょうてき)作品(さくひん)は1778年にかかれた「(おく)細道図巻(ほそみちずかん)」で、これは尊敬(そんけい)する松尾(まつお)芭蕉(ばしょう)の旅の記録(きろく)(おく)細道(ほそみち)』をすべて(うつ)し、それに()を入れたものです。大好(だいす)きな芭蕉(ばしょう)俳句(はいく)()()をかいて一つの作品(さくひん)をつくるのは、どんな気持ちだったのでしょう。

蕪村(ぶそん)は3000もの俳句(はいく)や、すぐれた絵画(かいが)作品(さくひん)(のこ)して、68(さい)()くなりました。松尾(まつお)芭蕉(ばしょう)小林(こばやし)一茶(いっさ)(1716年~1784年)と(なら)んで、江戸(えど)時代(じだい)(1603年~1868年)の俳句(はいく)の世界を代表(だいひょう)する一人として知られています。

文:新階由紀子

画像:写真AC/イラストAC/ColBase

(2024.12.10)

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