千利休 茶人/商人(1522年〜1591年)
日本の伝統文化というと、まず茶道を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。茶道というものは言うまでもなく、作法に従ってお湯を沸かしてお茶を入れて飲むことを指します。
茶の原産地は中国で、中国では相当古くからお茶を飲む習慣があったようです。日本でお茶を飲む習慣が本格的に始まったのは、禅僧の栄西が1191年に留学先だった中国からお茶の種と苗木を日本に持ち帰ってからだと言われています。
お茶ははじめ大変貴重で薬用として使われていたようですが、お茶の栽培が広がると、お茶を飲んで楽しむという習慣が徐々に武士の間でも流行するようになりました。そして、16世紀後半までに現在まで伝わるお茶の作法が整えられました。今、私達がよく目にする茶道は「わび茶」とも言います。15世紀の後半まで、茶会では中国から伝わった高価な道具が使用されていましたが、茶人の村田珠光が質素な道具を茶道に取り入れて以来、それが次第に茶道の主流となり千利休という茶人が「わび茶」を完成させました。
千利休
「わび茶」の精神は、不必要なものを全て捨て、シンプルさを大切にすることです。利休は高価な道具は使わずに、「わび茶」にあうような素朴な道具を好んで使用したのみならず、自らデザインして製作したりもしました。そして、茶室の大きさも畳二枚分の大きさにした上に、無駄な要素をできる限り排除しようとしました。そして、お茶をたてる人と飲む人の心の交流を大切にしようとしたのです。
利休はその時の権力者であった豊臣秀吉によって切腹を命じられて69歳で命を落とします。利休が切腹を命じられた理由はよく分かっていません。しかし、秀吉は権力者だけあって派手なことが好きで、豪華な黄金の茶室を作ったりして利休のわびの精神と対立したことが原因ではないかとも言われています。けれども、その真相は今日でも分かっていません。
写真:写真AC、パブリックドメイン、ColBase
公開:2022.8.23
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