日本語多読道場 yomujp
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江戸城(えどじょう)と皇居(こうきょ)
江戸城
(
えどじょう
)
と
皇居
(
こうきょ
)
東京
(
とうきょう
)
が今のような
大都市
(
だいとし
)
になるきっかけは、400年
以上
(
いじょう
)
前に
起
(
お
)
こりました。17
世紀
(
せいき
)
の
初
(
はじ
)
めに
徳川家康
(
とくがわいえやす
)
という人が、今の
東京
(
とうきょう
)
に
幕府
(
ばくふ
)
(
武士
(
ぶし
)
つまり
侍
(
さむらい
)
の
政治
(
せいじ
)
の
拠点
(
きょてん
)
)をつくりました。そのころ
東京
(
とうきょう
)
は
江戸
(
えど
)
と
呼
(
よ
)
ばれていました。それから260年の間、
徳川家
(
とくがわけ
)
を
中心
(
ちゅうしん
)
とした
武士
(
ぶし
)
の時代が
続
(
つづ
)
きます。この260年間が
江戸時代
(
えどじだい
)
です。
江戸
(
えど
)
は
政治
(
せいじ
)
だけでなく
経済
(
けいざい
)
の
中心
(
ちゅうしん
)
にもなり、世界の中でも大きな
都市
(
とし
)
になりました。
江戸時代
(
えどじだい
)
の終わりには
人口
(
じんこう
)
が100万人を
超
(
こ
)
えていたと言われています。
徳川家康
(
とくがわいえやす
)
は小さな町だった
江戸
(
えど
)
に、大きな
城
(
しろ
)
をつくりました。
自然
(
しぜん
)
の川や
谷
(
たに
)
を
利用
(
りよう
)
し、山をけずって2つの
堀
(
ほり
)
をつくりました。また、大きな石を
積
(
つ
)
んで
石垣
(
いしがき
)
をつくり、
城
(
しろ
)
を
守
(
まも
)
りました。その時の
堀
(
ほり
)
や
石垣
(
いしがき
)
は今も
残
(
のこ
)
っています。
MAP
MAP
MAP
この
江戸城
(
えどじょう
)
と
呼
(
よ
)
ばれた
城
(
しろ
)
は火事でなくなってしまいましたが、同じころつくられた
姫路城
(
ひめじじょう
)
は、まだ、
残
(
のこ
)
っています。
姫路城
(
ひめじじょう
)
は木でつくられています。このような
昔
(
むかし
)
の木の
城
(
しろ
)
が今でも
残
(
のこ
)
っているというのは、
大変
(
たいへん
)
貴重
(
きちょう
)
なことです。今、
東京
(
とうきょう
)
で見ることができる
堀
(
ほり
)
や
石垣
(
いしがき
)
の中にこのような
城
(
しろ
)
があったことになります。
姫路城
(
ひめじじょう
)
のような
城
(
しろ
)
が
江戸
(
えど
)
の町にはありました。
姫路城
(
ひめじじょう
)
MAP
武士
(
ぶし
)
の時代、つまり
侍
(
さむらい
)
の時代は12
世紀
(
せいき
)
末
(
まつ
)
ごろから始まりましたが、それより前は、
天皇
(
てんのう
)
を
中心
(
ちゅうしん
)
とした
政治
(
せいじ
)
が行われていました。そして、
武士
(
ぶし
)
の時代になっても、
天皇
(
てんのう
)
が日本で
一番
(
いちばん
)
高い
地位
(
ちい
)
にあることは
変
(
か
)
わりませんでした。
天皇
(
てんのう
)
は
武士
(
ぶし
)
のリーダーに
役割
(
やくわり
)
を
与
(
あた
)
えました。
実際
(
じっさい
)
の
政治
(
せいじ
)
は
武士
(
ぶし
)
のリーダーが
行
(
おこな
)
っていましたが、
天皇
(
てんのう
)
がその
武士
(
ぶし
)
のリーダーを
選
(
えら
)
ぶという
形
(
かたち
)
をとりました。400年前の
徳川家康
(
とくがわいえやす
)
は、「
関ヶ原
(
せきがはら
)
の
戦
(
たたか
)
い」という大きな
戦争
(
せんそう
)
に
勝
(
か
)
って、
武士
(
ぶし
)
のリーダーになりました。それから、
天皇
(
てんのう
)
は「
征夷大将軍
(
せいいたいしょうぐん
)
」という
役割
(
やくわり
)
を
徳川家康
(
とくがわいえやす
)
に
与
(
あた
)
えました。この
役割
(
やくわり
)
は
将軍
(
しょうぐん
)
と
省略
(
しょうりゃく
)
されることが多いです。
将軍
(
しょうぐん
)
という
言葉
(
ことば
)
は、「
侍
(
さむらい
)
」と同じように
海外
(
かいがい
)
でも有名な
言葉
(
ことば
)
になりました。
徳川家康
(
とくがわいえやす
)
の
子孫
(
しそん
)
が15
代
(
だい
)
にわたって
将軍
(
しょうぐん
)
になりましたが、今から150年ほど前に、
徳川将軍
(
とくがわしょうぐん
)
は、ほかの
武士
(
ぶし
)
の
連合軍
(
れんごうぐん
)
に
負
(
ま
)
けました。
連合軍
(
れんごうぐん
)
は自分たちが
天皇
(
てんのう
)
の
味方
(
みかた
)
だと
宣伝
(
せんでん
)
して、
戦
(
たたか
)
いを
有利
(
ゆうり
)
に
進
(
すす
)
めたとも言われています。
戦
(
たたか
)
いに
負
(
ま
)
けた
将軍
(
しょうぐん
)
は、
江戸城
(
えどじょう
)
を出ました。この
後
(
あと
)
、
天皇
(
てんのう
)
が
京都
(
きょうと
)
から来て、
江戸城
(
えどじょう
)
に住むことになりました。
江戸
(
えど
)
は
東京
(
とうきょう
)
になり、
江戸城
(
えどじょう
)
は
天皇
(
てんのう
)
が住む
皇居
(
こうきょ
)
になりました。その
後
(
ご
)
、
武士
(
ぶし
)
はちょんまげと
呼
(
よ
)
ばれた長い
髪
(
かみ
)
を切り、
武士
(
ぶし
)
の
誇
(
ほこ
)
りであった
刀
(
かたな
)
を
捨
(
す
)
てました。このようにして、
武士
(
ぶし
)
の時代は終わりました。
今の
東京
(
とうきょう
)
には、
江戸城
(
えどじょう
)
のお
堀
(
ほり
)
と
石垣
(
いしがき
)
の中に
天皇
(
てんのう
)
が住む
皇居
(
こうきょ
)
があります。
皇居
(
こうきょ
)
に入る
門
(
もん
)
も
江戸時代
(
えどじだい
)
のころの名前のままです。
皇居
(
こうきょ
)
を
囲
(
かこ
)
むように大きなビルが
並
(
なら
)
んでいます。
江戸時代
(
えどじだい
)
につくられたものと
現代
(
げんだい
)
につくられたビルなどが
同時
(
どうじ
)
に見られる、
面白
(
おもしろ
)
い
景色
(
けしき
)
です。
MAP
MAP
MAP
また、
皇居
(
こうきょ
)
の中には木がたくさんあり、
自然
(
しぜん
)
が
豊
(
ゆた
)
かです。そのような
自然
(
しぜん
)
の中に
季節
(
きせつ
)
を
感
(
かん
)
じることができます。
千鳥ヶ淵
(
ちどりがふち
)
という
堀
(
ほり
)
のわきには小さな道があります。春には、
桜
(
さくら
)
の花が
見事
(
みごと
)
に
咲
(
さ
)
いてとてもきれいです。
東京
(
とうきょう
)
の
桜
(
さくら
)
の
名所
(
めいしょ
)
になっていて、多くの人たちがお
花見
(
はなみ
)
にやってきます。夜には
桜
(
さくら
)
をライトアップします。夜の
桜
(
さくら
)
を
夜桜
(
よざくら
)
と言いますが、昼の
桜
(
さくら
)
だけでなく、
夜桜
(
よざくら
)
もきれいです。
MAP
MAP
文 ・ 写真:岡野秀夫
(2021.3.9)
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江戸城(えどじょう)と皇居(こうきょ)